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2018年11月19日 | 日記

 

 

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クリスマスに関する真実Ⅱ

2018年11月19日 | 日記

 

「クリスマスに関する真実Ⅱ」




(3)占星術者たちを導いたのはどんな星だったか。

その星が何をしたかがヒントになります。星は占星術者たちを,まっすぐベツレヘムにではなく,まずエルサレムに導きました。
そのエルサレムで,占星術者たちがイエスを探していることがヘロデ王の耳に入ります。
ヘロデは「占星術者たちをひそかに呼び寄せ」,「ユダヤ人の王」が誕生したことを彼らから聞くと,こう言います。
「その幼子を注意深く捜し,見つけたら,わたしのところに報告しなさい」。
イエスを見つけたいと思ったヘロデの動機は高潔なものではありませんでした。
この高慢で無慈悲な支配者は,イエスを殺そうと決めていたのです。
(マタイ 2:1~8,16)

興味深いことに,「星」は,今度は占星術者たちを南方のベツレヘムに導きます。
そして,イエスのいる家の上方まで『来て止まり』ました。

「彼らは王の言うことを聞いて,道を行った。すると 見よ,彼らが昇るのを見たあの星が彼らを導き,その子供がいる所に来て,その上にとどまった。
彼らはその星を見た時,大いに喜び歓喜した」。
(マタイ 2:9,10)

明らかに,これは普通の星ではありません。神はみ使いたちを用いて,イエスの誕生を謙遜な羊飼いたちにお知らせになりました。
その神が,星を用いて異教徒の占星術者たちを,まずイエスの敵のところに,それからイエスのところに導いたりなさるでしょうか。
ですから,この星は悪魔サタンの陰険な手段であったに違いありません。
サタンはそのようなまやかしを行なうことができます。

「しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,
また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼ら[こうして滅びゆくのは,真理への愛を受け入れず,
救われようとしなかったことに対する応報としてなのです」。
(テサロニケ第二 2:9,10)

皮肉なことに,クリスマスツリーのてっぺんには大抵,ベツレヘムの星と呼ばれる飾りが付けられています。

(4)サンタクロースはイエスの誕生とどんな関係があるのか。

通説: 多くの国の子どもたちは,サンタクロースがプレゼントを持って来てくれると考えています。

言い伝えによるとサンタは北極で小人たちと一緒にプレゼントを作っているとされ,子どもたちは欲しいものを書いた手紙をサンタに送ります。

起源: 一般的な説によると,サンタクロースの話は,小アジア(現在のトルコ)のミラの聖ニコラウス大司教に由来します。
「聖ニコラウスに関する記録はほぼすべて伝説に基づいている」と「クリスマス百科事典」は述べています。
「サンタクロース」という呼び名は,「聖ニコラウス」を意味するオランダ語がなまった「シンテルクラース」から派生したようです。
歴史から見ても,聖書から見ても,サンタクロースとイエス・キリストには何の共通点もありません。

聖書は何と述べているか: 「あなた方は偽りを捨て去ったのですから,おのおの隣人に対して真実を語りなさい」。
最も身近な「隣人」は家族です。
(エフェソス・エペソ 4:25)
聖書は,『真実を愛し』「心に真実を語る」べきであるとも述べています。
(ゼカリヤ 8:19。詩編 15:2)
サンタ(あるいはクリストキント)がクリスマスの時にプレゼントを持って来る,と子どもに言うのは,たわいない楽しみにすぎない,と思えるかもしれません。
しかし,悪意がないとはいえ,幼い子をだますのは正しいこと,また賢明なことでしょうか。
イエスをたたえるはずの時が子どもをだます時になるのは,おかしなことではありませんか。


(5)プレゼントを贈ったり陽気に楽しんだりするクリスマスの習慣を,神はどう見ておられるか。

通説: クリスマスの特色の一つはプレゼントを互いに贈り合うことです。また,クリスマスにはパーティーや飲酒が付きものです。

起源::古代ローマのサトゥルナリア祭は12月17日に始まり,24日に終わりました。その24日に人々はプレゼントを交換しました。
家や通りで騒々しい宴会を行ない,大酒を飲み,好き放題のことをしました。
サトゥルナリア祭の後,1月1日を祝う行事が行なわれ,その祭りはたいてい3日間続きました。
サトゥルナリア祭と1月1日の祝いは合わさって,一つの祝祭となっていたようです。


聖書は何と述べているか: 喜びと寛大さは真の崇拝の特徴です。
『義なる者たちよ,喜べ。喜び叫べ』と聖書も述べています。
(詩編 32:11)
そのような喜びは,多くの場合,寛大さと関係があります。
「気前のよい人は自分も太り,他を潤す人は自分も潤う」。
(箴言 11:25)
「受けるより与えるほうが幸福である」とイエス・キリストは言いました。
(使徒 20:35)
また,「いつも与えなさい」,つまり与えることを日常生活の一部としなさい,とも述べました。
(ルカ 6:38)

そのようにすることは,儀礼的な贈り物をすることや,社会の習慣に従うために仕方なく与えることとは異なっています。
本当の寛大さについて,聖書はこう述べています。
「各自いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに行ないなさい。神は快く与える人を愛されるのです」。
(コリント第二 9:7)
この優れた指針に従う人は,自らの寛大な心に促されて与えます。
一年を通じて,いつでも与えます。そのようにする人を神は祝福なさいます。そして,与えることは決して重荷ではありません。


偽りに基づく習慣

聖書の光に照らすと,クリスマスはほぼすべての面で,異教の慣習や,聖書の記述の歪曲に基づいていることが分かります。
ですから,クリスマスは実際にはキリスト教のものではありません。では,どのようにして持ち込まれたのでしょうか。
キリストの死後しばらくして,聖書の予告どおり,多くの偽教師が現われました。
「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき,人々は自分に都合の良いことを聞こうと,好き勝手に教師たちを寄せ集め,
真理から耳を背け,作り話の方にそれて行くようになります」。
(テモテ第二 4:3,4)
それら無節操な教師たちは,真理を教えることよりも,キリスト教を異教徒に受けの良いものにすることに関心がありました。
そのため徐々に,人気のあった異教の祝祭を取り込み,それに“キリスト教”のラベルを張ったのです。

聖書はそうした「偽教師」についてこう警告しています。
「しかしながら,民の間には偽預言者も現われました。あなた方の間に偽教師が現われるのもそれと同じです。
実にこれらの人々は,破壊的な分派*をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった所有者のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらすのです。
さらに,多くの者が彼らのみだらな行ないに従い,そうした者たちのために真理の道があしざまに言われるでしょう。
また,彼らは強欲にもまやかしの言葉であなた方を利用するでしょう。しかし彼らに対して,昔からの裁きは手間どっているのではなく,その滅びはまどろんでいるのでもありません」。
(ペテロ第二 2:1~3)

「かつて,民の中に偽預言者がいました。同じように,あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。
彼らは,滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み,自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、
しかも,多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。
彼らは欲が深く,うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは,昔から怠りなくなされていて,彼らの滅びも滞ることはありません」。
(ペテロ第二 2:1~3)