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聖書が信頼できる理由~聖書

2020年09月06日 | 日記

聖書が信頼できる理由

 

1. 歴史記録の確かさ

内容に不正確なところのある本を信頼するわけにはいかないでしょう。
例えば現代史の本を読んでいる時に,第二次世界大戦は1800年代に起きたと書かれていたり,米国大統領が王と呼ばれていたりするのを見つけたなら,どう感じるでしょう。
そうした不正確さのゆえに,その本全体の信頼性を疑うのではないでしょうか。

聖書の歴史記録の正確さに異議を唱えて誤りを実証できた人は一人もいません。聖書は,実在の人物と実際に起きた出来事を記録しているのです。

 

人物。
聖書批評家たちはかつて,ポンテオ・ピラトが実在したことに疑問を唱えていました。
ピラトはローマのユダヤ総督で,イエスを杭につけさせた人物です。

『朝になった時,祭司長と民の長老たち全員は,イエスを死刑にしようと協議した。そして,イエスを縛ってから引いていき,総督ピラトに引き渡した。その時,裏切り者のユダは,イエスが有罪とされたのを見て後悔し,
銀30枚を祭司長と長老たちに返して,「私は無実の人を裏切って罪を犯した」と言った。
その人たちは,「私たちの知ったことではない。あなたが始末すべきことだ!」と言った。ユダは銀を神殿に投げ込み,去っていって首をつって死んだ。 しかし祭司長たちはその銀を取り,「これを聖なる宝物庫に入れることは許されない。血の代価だからだ」と言った。 協議した後,そのお金で陶芸家の土地を買って,見知らぬ人たちの墓地とした。 それで,その土地は今日まで,血の土地と呼ばれている。この時,預言者エレミヤを通して語られた次の言葉が実現した。「彼らはその人の代価,銀30枚を取った。イスラエル人はその人の代価をそのように定めた。 そして,神(エホバ,ヤハウェ)が私に命令したところに従い,陶芸家の土地のためにそれを与えた」。イエスは総督の前に立った。総督が,「あなたはユダヤ人の王なのか」と質問すると,イエスは,「その通りです」と答えた。 
しかし,祭司長と長老たちから訴えられている間,何も答えなかった。そこでピラトは言った。「この人たちがあなたに不利な証言をこんなに多く行っているのが,聞こえないのか」。それでも,イエスは一言も答えなかった。そのため総督はとても驚いた。さて,祭りのたびに,群衆が望む囚人1人を釈放するのが総督の習慣だった。ちょうどその時,バラバという悪名高い囚人がいた。 人々が集まった時,ピラトは言った。「どちらの人を釈放してほしいのか。バラバか,それともキリストといわれるイエスか」。 イエスを引き渡したのがねたみのためであることに気付いていたのである。さらに,ピラトが裁きの座に座っている間に,妻から伝言が届いた。「その無実の人に関わらないでください。私は今日,その人のことで夢の中でとても苦しんだのです」。 しかし祭司長と長老たちは,バラバの釈放を求めてイエスの方は死刑にさせるよう,群衆を説き伏せた。そこで総督は言った。「2人のうちどちらを釈放してほしいのか」。群衆は,「バラバを」と言った。 ピラトは言った。「では,キリストといわれるイエスの方はどうしたらよいか」。群衆は皆,「杭に掛けろ!」と言った。 ピラトは言った。「この人がどんな悪事をしたというのか」。それでも群衆は,「杭に掛けろ!」とますます激しく叫び続けた。ピラトは,何をしても無駄で,むしろ騒動が起きそうなのを見て,群衆の前で水で手を洗い,「この人の血について私は潔白だ。あなた方自身が責任を負わなければならない」と言った。 民は皆,「彼の血についてはわれわれと子供たちが責任を負ってもよい」と答えた。そこでピラトはバラバを釈放し,イエスの方は,むちで打たせ,杭に掛けて処刑するために引き渡した』。
(マタイ 27:1~26)

1961年に地中海の港湾都市カエサレアで一つの石碑が発見され,それに刻まれた碑文によって,ピラトがユダヤの支配者であったことが証明されました。

1993年より前には,ダビデが実在の人物だったことを示す記録は聖書以外にはありませんでした。
ダビデは,若いころには勇敢な羊飼いであり,後にイスラエルの王となった人です。
1993年に,イスラエル北部で考古学者が,西暦前9世紀の玄武岩の石碑を発見しました。専門家によると,その碑文には,「ダビデの家」および「イスラエルの王」という言葉が記されていました。

 

出来事。
最近まで多くの学者は,ダビデの時代にイスラエルと戦ったエドムという国に関する聖書の記述の正確さを疑っていました。

「また,ダビデは塩の谷でエドム人1万8000人を討って帰ってきて,名を上げた。ダビデはエドムに守備隊を置いた。エドム全土に守備隊を置き,エドム人は皆,ダビデに仕えることになった。ダビデはどこに行っても,神(エホバ,ヤハウェ)のおかげで勝利した」。
(サムエル第二 8:13,14)

当時のエドムは単純な牧畜社会にすぎず,ずっと後になるまで十分な組織もイスラエルを脅かすような力も有していなかった,と学者たちは論じていました。
しかし「聖書考古学レビュー」誌(英語)によると,最近の発掘作業の結果,「エドムは以前に考えられていたより幾世紀も早い時点で,聖書に記されているとおりの複雑な社会になっていた」ことが分かりました。

 

正しい肩書き。
聖書が筆記された1,600年ほどの期間中,多くの支配者が登場しました。
聖書は,支配者について述べるときには必ず,正しい肩書きを用いています。
例えば,ヘロデ・アンテパスを「地域支配者」,ガリオを「執政官代理」と正確に呼んでいます。

ティベリウス・カエサルの治世の第15年,ポンテオ・ピラトがユダヤの総督,ヘロデがガリラヤの地域支配者,その兄弟フィリポがイツリアとテラコニテ地方の地域支配者,ルサニアがアビレネの地域支配者だった時
(ルカ 3:1)

ガリオがアカイアの執政官代理だった時に,ユダヤ人は一団となってパウロを襲い,裁きの座の前に引いていって」
(使徒 18:12)

エズラ 5章6節では,タテナイという人が,「川向こうの総督」,つまりユーフラテス川の向こう側にあるペルシャの州の総督とされています。
西暦前4世紀に作られた硬貨に同様の表現が記されており,ペルシャの総督マザウスが「川向こう」の州の支配者と呼ばれています。

「以下は,川向こうの地域の総督タテナイ,シェタル・ボゼナイとその同僚である川向こうの地域の準総督たちが,ダリウス王に送った手紙の写しである」。
(エズラ 5:6)

重要とは思えないような細部でも正確であるのは,大切なことです。細部においても聖書の記述を信頼できるのであれば,聖書の他の部分についても確信を抱けるのではないでしょうか。