私は、エホバの証人ではありませんが、時々、
エホバの証人より配布いただいてる、「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌
パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教、宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会、創価学会、キリスト教のカトリック、プロテスタント等)
その中で、聖書に忠実に教えてるのは、エホバの証人と思います。
*私が用いる聖句は、新世界訳、新共同訳、新改訳、口語訳、回復訳(新約聖書のみ)
ものみの塔誌、1975-05-01より
私の民の寿命は「木の寿命」のようになる
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく、彼らが植えたものを、他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は「木の一生」のようになり、わたしに選ばれた者らは、彼らの手の業にまさって長らえる。
聖書(イザヤ書 65:22)
建てた家に他人が住むことはなく、植えた物を他人が食べることもない。
私の民の寿命は「木の寿命」のようになり、私が選んだ者たちは働く喜びを存分に味わう。
(イザヤ 65:22)
彼らが植えて、だれかほかの者が食べることはない。
わたしの民の日数は「木の日数」のようになり、わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである。
(イザヤ 65:22)
このことばは長い命を約束しています。
しかしながら、この聖句の意味と、それがわたしたちの寿命にどう適用されるかをはっきりと知るには、
『木の寿命のごとく』というたとえの意味を理解するのは有益なことです。いったい樹木はどれくらい生きるでしょうか。
人間が算定した多くの木の樹齢はどれほど正確ですか。樹齢を正確に算定できる確かな方法がありますか。
今日生存している樹木の中には、ノアの日の大洪水前の木がありますか。
樹木その他の植物は、人間が存在するよりもずっと以前から地上に存続してきたことを忘れてはなりません。
人間は、創造の「週」の第7日の直前、つまりおよそ6,000年前に現われましたが、
『その類に従いて実を結ぶ…ところの樹』は創造の第三の時代に創造されました。
神は言った。「天の下の水は1つの場所に集まり、乾いた所が現れよ」。するとそのようになった。
神は乾いた所を陸と呼び、集まった水を海と呼んだ。神が見ると、それは良かった。
神は言った。「陸は、さまざまな種類の草木と果樹を芽生えさせよ。草木は種を、果樹は種のある果実を付ける」。
するとそのようになった。陸は、さまざまな種類の草木と果樹を生み出した。草木は種を、果樹は種のある果実を付けた。
神が見ると、それは良かった。こうして、晩になり朝になり、3日目が過ぎた。
(創世記 1:9~13)
創造の「日」もしくは時代のおのおのは明らかに7,000年の長さですから、創造の「週」の全期間は4万9,000年になります。
その全期間を12時間の時計になぞらえると、樹木その他の植物は3時30分から5時15分の間に現われたことになります。
人間はどうでしょうか。それはずっとあとで、10時以後になります。
ですから、樹木が地上に存続してきた期間は2万7,000年ないし3万4,000年に及んでおり、
人間の存続してきた期間であるおよそ6,000年をはるかにしのいでいます。