神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

聖書は神からのプレゼント Ⅰ

2020年01月08日 | 日記

 

友達から思いがけないプレゼントをもらったことがありますか。
うれしくて、何が入っているかわくわくし、心から「ありがとう!」と言ったはずです。

聖書は神からのプレゼントです。他では知ることのできない大切なことが書かれています。
神が宇宙や地球や人間を造ったこと,もうすぐ神が地球全体を楽園に変えること、いろんな問題を乗り越えるためのアドバイスなどです。
聖書は素晴らしいプレゼントです。

聖書を学ぶと,神が私たちと親しくなりたい、友になりたいと思っていることも分かります。
聖書を学んで神について知ると、友情が育っていきます。

聖書は2600ほどの言語に翻訳され、これまでに何十億冊も出版されてきました。
世界の90%以上の人が自分の言語で聖書を読めます。毎週,100万冊が出版されています。こんな本は他にありません。


聖書は、神の導きによって書かれました。
「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので、教え、戒め、矯正し、正しいことに基づいて指導するのに役立ちます」。
(テモテ第二 3:16)

書いたのはもちろん人間ですが、聖書は神からの本です。
「人が聖なる力に導かれて、神からの言葉を語った」とある通りです。
「どの預言も、人間の考えによって語られたのではありません。人が聖なる力に導かれて、神からの言葉を語ったのです」。
(ペテロ第二 1:21)

例えで考えてみましょう。社長が秘書に手紙を書かせたとします。
その手紙は誰からの手紙でしょうか。社長からの手紙です。秘書からのではありません。
そこに書かれているのは社長の考えだからです。
聖書も,書いたのは人間でも神からの本です。神が人間を導いて、神の考えを書かせました。
聖書は「神の言葉」なのです。
「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、
それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
(テサロニケ第一 2:13)


聖書は1600年をかけて書かれました。いろいろな時代の人が書きました。
高い教育を受けていた人もいれば,そうでなかった人もいました。医師、農民、漁師、羊飼い、王などさまざまな人たちです。
それでも、聖書に矛盾はありません。
箇所によって内容が食い違っているということはないのです。


聖書の最初の方には、世界に問題が生じるようになったいきさつが書かれています。
最後の方には、神がどのように問題を解決して、地球全体を楽園に変えるかが書かれています。
聖書全体で人類史の数千年が扱われ、神は決めたことを必ず達成することが分かります。


聖書は科学の教科書ではありませんが、科学と合っています。神からの本であればそれもそのはずです。
例えば、レビ記には病気の伝染を防ぐための神の指示が書かれています。病原菌が発見されるよりずっと前のことです。
聖書はまた、地球が宙に浮いていると述べています。
「彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる」。
(ヨブ 26:7)

地球が平らだと信じられていた時代に、地球が「丸い」とも言っていました。
「丸い地の上に住む方がいる。地に住む者たちはバッタのようだ。その方は天を薄織りの布のように広げ、天幕のように張って住まいとする」。
(イザヤ 40:22)


聖書は歴史についても正確です。古代の歴史書は、筆者が正直でないために不正確なことがあります。
戦いで負けたことを記録していなかったりします
でも、聖書を書いた人たちは敗戦について正直に記し、自分の失敗についてもありのままに書いています。
例えばモーセは民数記で、自分が大きな間違いをしたことや神から罰を受けたことを書いています。
「さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった。
民はモーセに抗弁して言った。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。
モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主(神)の栄光が彼らに向かって現れた。主(神)はモーセに仰せになった。
『あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい』。
モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。『反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか』。モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。主(神)はモーセとアロンに向かって言われた。
『あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない』」。
(民数記 20:2~12)

そういう正直さは、聖書が神からのものである証拠です。
聖書は信用できる本です。

 


アドバイスの宝庫へ続く>>>>