伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ポール・マッカートニー写真展

2024年12月31日 | 展覧会・絵

グランフロント大阪で開かれていた「ポール・マッカートニー写真展」は、
ポール・マッカートニーを写した写真展ではなく、
ポール「が」写した写真展なのである。


この展覧会は大阪での開催にも関わらず、京都新聞が共催なので、
京都新聞でも大々的に宣伝していた。
なぜグランフロント大阪の開催なのに京都新聞が絡んでいるのだろう、
と思いつつわざわざ展覧会へ大阪まで行くのは遠い、と思い、
行くつもりはなかったが、招待券をもらってしまった。

入場料は大人なら2500円だという。
普通の展覧会より高い設定だ。
そんな高い展覧会が無料で見られるのか💦と思い、
時間を作って大阪まで行くことにした。

2025年1月5日までの展示なので、年が明けると行けないから、
年末の慌ただしい時に慌ただしく💦行って来た。




↓このHPではポールが自ら解説している動画もある。
大阪展HP カンテレ
https://www.ktv.jp/event/eyesofthestorm/
ポール・マッカートニー写真展 1963-1964~Eyes of the Storm~
日程 2024年10月12日(土)~2025年1月5日(日)
会場 グランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル イベントラボ

開催内容
約250点、世界が熱狂したザ・ビートルズ絶頂期の記録
ポール・マッカートニー撮影の未公開プライベート写真を展示


東京展
https://www.eyesofthestorm.jp/

公式X
https://x.com/eotsjapan


グランフロント大阪は一度行ったことがあるが、もう行き方を忘れた💦。
果たして行きつけるだろうか、と不安に思いつつ、
大阪までの新快速は立ちっぱなしで息も絶え絶えになりつつ、
それでもJR大阪駅からは矢印の案内があり、
とても分かりやすい場所にあったのでほぼ迷うことなく行きつけた。
しかし行くだけで疲れた(>_<)。




大阪は京都に比べて建物が巨大だ。
そして広い。
京都のちまちました町からは到底考えられない大きさで、
まごまごしつつ気おくれしつつも、
グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下へ入った。




写真展の中は殆どの写真が撮影可能だった。
今回も片っ端から写真に撮っていったが、きりがなかった(>_<)


ポール・マッカートニー写真展は1963年から1964年、
ザ・ビートルズが世界を熱狂させ社会現象となって行った時から、
アメリカツアーまでの1年間に写された写真で構成されていた。

1964年といえばもう60年前だ(◎_◎;)。
ビートルズの登場はそんな昔のことだったのか。
もはや歴史上の人物、歴史上のフェノメノンである。




現代の若い人にはどう映っているのだろう。
お客さんの中には若い人もいた、というか、
年寄りは私一人?くらいで若者が多かった。
ビートルズのことを何らかのタイミングで知り、
興味を持った人たちなのだろうか。


今回の展示では音声ガイドはポールが自ら担当しているのだという。
(自分はガイドを聞かないタイプ)
それと共に写真につけた解説をいくつかポール自身が案内していた。
この展覧会はまずロンドンで始まり、
それから世界へと巡回していったのだという。
日本では先に東京で展示があり、そして大阪へ巡回したようだ。


ポール・マッカートニーが写した写真を見ていると、
しかし、時を超えて1960年代へタイムスリップしたみたいな気分になった。

ポールはマメな人だったのだろう。
そしてカメラも好きだったようだ。
当時のカメラはデジタルカメラではないし、その場で確認も出来ない。
フィルムを現像して初めてどんな写真を写したか分かるという、
それが普通だった。

ポールの使っていたカメラは日本製のペンタックスだったという。
(展示は同種類のもの)



ポールは多分、カメラを楽屋で片っ端から連写して、
またそばにいる人を誰彼かまわず被写体にしたのだろう。
即興でカメラを向けたに違いない。
それが今、見ると貴重なビートルズ時代のドキュメントとなっている点が
とてもビビッドで、
写された人物も生き生きとしていて、まるで昨日のことのようである。




もちろん被写体はビートルズのメンバーが主で、
自分を写した秀逸なセルフ・ポートレイトもあった。
マネージャーだったブライアン・エプスタインも多数映っていて、
ローディーのマル・エヴァンス?だったかもいる。
テレビ収録の際の共演者のバックヤードもある。
当時の流行歌手たちだ。





メンバーの家族、ジョージの両親、ポールの家族などの写真もあり、
ジョン・レノンの当時の最初の妻、シンシアも多数映っていた。
ポールの恋人だったジェーン・アッシャーももちろん映っていた。
彼女たち女性を写した写真たちは雰囲気があってとても素敵だった。






ジョージの写真の説明では常に「ハンサム」という言葉が。





写真ばかりではなく「抱きしめたい」(I want to hold your hand)
の貴重なオリジナル作詞原稿も展示されていた。
所々にモニターがあり、作品を紹介もしていた。



1963年-64年はビートルズが熱狂的に世界に迎えられ、
人気も絶頂だったころだと思うが、写真にはそうした奢りはなく、
ただそばにいる人たちを日常としてただドキュメントしている。



ビートルズめがけて殺到する取材陣を逆にポールが写した写真もある。



そこには人気絶頂だが休む間もなく働いていた悲壮感はなく、
さりとて人気にいい気になっているわけでもなく、
時代の空気を見事に捉えた写真となっていた。
ポールの人柄なのかもしれない。
写真はその人自身を写す、という。
ポールの写した写真はポールそのものだったのかもしれない。


彼らビートルズは労働階級の出身である。
イギリスは厳密な階級社会だった。
彼らはだからこそ労働階級から身を立て人気者になり、
大金を稼ぐようになってもどこか冷めた、皮肉な、シニカルな態度を貫いていた。

下層階級出身だったからこそ奢りとは無縁の金銭に縛られない
フラットな精神の持ち主たちだったに違いない。
写真にはそうしたポールの性格が表れていたように思うのである。





ビートルズのメンバーたちの行く所、
とんでもなく物凄い喧騒が待ち構えている。
絶叫するファンや、出動する警官、
メンバーを撮ろうとする報道のカメラマンたち・・・、
それらを逆にポールが写している。
そこには彼らの外で起こっている喧噪をどこか冷静に見つめるポールの目がある。
ポールにとってそれは風景の一部だったのかもしれない。










アメリカでのテレビ番組エド・サリバンショーに出演した様子、


ビートルズの音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンの姿も。





アメリカのヒットチャート1位を獲得してアメリカツアーが始まる。
そのあたりから写真はカラーになる。
それは映画「ハード・デイズ・ナイト」から「ヘルプ!」へ移行する過程のようだった。






ホテルの窓から見た外の様子、
ホテルのプールでメンバーが泳ぎ、くつろぐ様子、
ツアーの束の間でも彼らが楽しんでいる様子に少し和んだ。
ファンやメディアに追われて気の休まる時がなかったろうと思うが、
そこにいたのはごく普通に休暇を楽しむ若者であった。








ただホテルの窓からの眺めや町の様子を写した写真には、
缶詰め状態で外に出られない彼らの境遇を見るようで、少し心が詰まった。
それらも今から見ると時代の反映と言えるかもしれないが。。
ポールの写真のうまさもあるが、
60年前の喧騒の時代、喧騒のさなかの貴重なドキュメントだと感じた。






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