ブルックリン・ドジャース ビジター風(1946~1957)
& ロサンゼルス・ドジャース ビジター風(1958、1970)

ブルックリン・ドジャースのキャップ購入に伴いビジター用のTシャツも購入したが、戦後使用されたビジター用「Dodgers」ロゴのTシャツも自作。
#1 ピー・ウィー・リース(BRO)

ドジャースは1958年にロサンゼルスに移転。そして、僅かな期間(1958、1970のみ)ではあるが、BRO時代の「Dodgers」ロゴを使用したビジター用のユニフォームを採用していた時期もある。(しかし、LA移転後は「Dodgers」ロゴ左下におなじみの赤文字で描かれた胸番号が入る)ということで、一応当Tシャツはロサンゼルス・ドジャースとしても応用可。
このドジャースのユニフォームはNPBにも多大なる影響が与え、毎日オリオンズ(ビジター)、広島カープ(ビジター)、ロッテオリオンズ(初代)、千葉ロッテ・マーリンズや後述する中日ドラゴンズ等がそのデザインを模写した。
#20 ドン・サットン(LAD)

1970年撮影
ちなみ1972年から現在まで使用されている「Dodgers」ロゴは「D」の形状がビミョーに異なる。
#34 フェルナンド・バレンズエラ(LAD)

#31 マイク・ピアッツァ(LAD)

蛇足だが、1987年に中日ドラゴンズがロサンゼルス・ドジャースそっくりのユニフォームを採用した時は、衝撃的だった!シンプルなデザインこそユニフォームは映えるものだと心酔したもんだ。
左:#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭(1996年)

1996年以降は髭と「Dragons」ロゴとの間の間隔が広げられた上で、髭が「D」の先端にかかる程度まで長めにアレンジされ、ドジャースにより忠実な書体になっている。キャップのロゴは1987年~1996年まで筆記体の「D」(但し1978~1995年までは天ボタンはブルー、1996年のみ天ボタンはホワイト)。以降、2003年まではブロック体の「D」。背番号の書体は1987年~1995年まではスチューデント型、1996年から2003年(厳密に言うと落合監督時代のユニフォームの2011年まで)MLB型を採用。
個人的にはキャップは筆記体の「D」ロゴ、背番号はMLB型が好みだった。この組み合わせが実現した1996年のみだけだったが中日ドラゴンズ史上最も美しいデザインだった。
※その他グッズはこちら
& ロサンゼルス・ドジャース ビジター風(1958、1970)

ブルックリン・ドジャースのキャップ購入に伴いビジター用のTシャツも購入したが、戦後使用されたビジター用「Dodgers」ロゴのTシャツも自作。
#1 ピー・ウィー・リース(BRO)

ドジャースは1958年にロサンゼルスに移転。そして、僅かな期間(1958、1970のみ)ではあるが、BRO時代の「Dodgers」ロゴを使用したビジター用のユニフォームを採用していた時期もある。(しかし、LA移転後は「Dodgers」ロゴ左下におなじみの赤文字で描かれた胸番号が入る)ということで、一応当Tシャツはロサンゼルス・ドジャースとしても応用可。
このドジャースのユニフォームはNPBにも多大なる影響が与え、毎日オリオンズ(ビジター)、広島カープ(ビジター)、ロッテオリオンズ(初代)、千葉ロッテ・マーリンズや後述する中日ドラゴンズ等がそのデザインを模写した。
#20 ドン・サットン(LAD)

1970年撮影
ちなみ1972年から現在まで使用されている「Dodgers」ロゴは「D」の形状がビミョーに異なる。
#34 フェルナンド・バレンズエラ(LAD)

#31 マイク・ピアッツァ(LAD)

蛇足だが、1987年に中日ドラゴンズがロサンゼルス・ドジャースそっくりのユニフォームを採用した時は、衝撃的だった!シンプルなデザインこそユニフォームは映えるものだと心酔したもんだ。
左:#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭(1996年)

1996年以降は髭と「Dragons」ロゴとの間の間隔が広げられた上で、髭が「D」の先端にかかる程度まで長めにアレンジされ、ドジャースにより忠実な書体になっている。キャップのロゴは1987年~1996年まで筆記体の「D」(但し1978~1995年までは天ボタンはブルー、1996年のみ天ボタンはホワイト)。以降、2003年まではブロック体の「D」。背番号の書体は1987年~1995年まではスチューデント型、1996年から2003年(厳密に言うと落合監督時代のユニフォームの2011年まで)MLB型を採用。
個人的にはキャップは筆記体の「D」ロゴ、背番号はMLB型が好みだった。この組み合わせが実現した1996年のみだけだったが中日ドラゴンズ史上最も美しいデザインだった。
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