MLB史上初のアフリカ系監督で、選手としても歴代10位の586本塁打で米国野球殿堂入りしているフランク・ロビンソン氏が2月7日、カリフォルニア州の自宅で死去した。享年83歳。死因は公表されていないが、米メディアによると最近は体調が思わしくなかったという。
シンシナティでデビューした1956年にナ・リーグ最優秀新人に輝き、61年には最優秀選手(MVP)を受賞。ア・リーグのボルティモアに移籍した66年は打率3割1分6厘、49本塁打、122打点で3冠王に輝き、史上初めて両リーグでMVPとなった。
75年にクリーブランドで選手兼任監督に就任し、ボルティモアを指揮した89年にリーグ最優秀監督に選ばれた。2002年にはモントリオールの監督に就任し、同球団最後の監督、そして2005年からワシントン初代監督となった。
選手として21年間の通算成績は2808試合で打率2割9分4厘、1812打点、204盗塁。オールスター戦には14度選出された。監督通算は1065勝1176敗だった。選手時代はリアルタイムで見ることはできなかったが、その偉大なる功績は既に伝説となっていた。オレぐらいの世代となると優秀な指導者としてのイメージが強い。
オレ個人としては青息吐息の2002年にモントリオールの監督に就任、そして結果としてはモントリオール最後の監督となったその姿を今でも鮮明に覚えている。
オレも含めカナダに関わったことある多くの人々が激しく落胆したエクスポズのカナダ国外への移転。その激動の時代の最中、共にエクスポズに捧げてくれた同氏に深い追悼の意を表する。
合掌
シンシナティでデビューした1956年にナ・リーグ最優秀新人に輝き、61年には最優秀選手(MVP)を受賞。ア・リーグのボルティモアに移籍した66年は打率3割1分6厘、49本塁打、122打点で3冠王に輝き、史上初めて両リーグでMVPとなった。
75年にクリーブランドで選手兼任監督に就任し、ボルティモアを指揮した89年にリーグ最優秀監督に選ばれた。2002年にはモントリオールの監督に就任し、同球団最後の監督、そして2005年からワシントン初代監督となった。
選手として21年間の通算成績は2808試合で打率2割9分4厘、1812打点、204盗塁。オールスター戦には14度選出された。監督通算は1065勝1176敗だった。選手時代はリアルタイムで見ることはできなかったが、その偉大なる功績は既に伝説となっていた。オレぐらいの世代となると優秀な指導者としてのイメージが強い。
オレ個人としては青息吐息の2002年にモントリオールの監督に就任、そして結果としてはモントリオール最後の監督となったその姿を今でも鮮明に覚えている。
オレも含めカナダに関わったことある多くの人々が激しく落胆したエクスポズのカナダ国外への移転。その激動の時代の最中、共にエクスポズに捧げてくれた同氏に深い追悼の意を表する。
合掌