私が社会人3年目の配置替え先で一緒になった同僚で、忘れられない先輩と後輩がいる。
後輩は、その年に入ったばかりの3歳年下の" コバ "と呼ばれてた、日本画の美人画家・松井冬子そっくりの超が付く程の美人で、彼女の事もいつか書こうとは思っているが、とにかくお互いに気が合った私達はいつも一緒に行動してた。松井冬子はこちら↓本当にこの写真なんてそっくりだ。
もう一人は、今日のヒロイン、" ササ先輩 "だ。
この人、私が未だかつて会ったことがない、これからもおそらく出会わないタイプの女性で、そんな人に出会った事自体が私の人生において貴重な体験❔と言えるだろう、、(((^^;)
記事にするにも憚れる様な、破天荒な性格と人生(と言っても、私はホンの数年しか知らないが、、)なので、今どんな風になってて、どんな風に生きているのかを考えるのも恐ろしいくらいだ😱
彼女はその当時では珍しい小顔で、松田聖子や中森明菜に似ていると評判の可愛いタイプの女の子だった。
でも、女子力の強かった先輩のお顔は念入りなメークの賜物で、オフの日にスッピンの先輩と会った時に識別出来なかった私に、「○○ゥ〜(私の名字)、ウフフ、私だよ、私、ササ👍」と可笑しそうに笑いながら話しかけて来た先輩は全くの別人だった😱
なので、私は、素顔とアフターメイクの顔がこれ程違う人にも出会った事がない( ̄▽ ̄;)
彼女は鼻にかかった甘ったるいハスキーな声と上目遣いで、少し首をかしげながら話すのが特徴で、小悪魔的な妖しい魅力もあったし、男性には人気があったと思う(^-^;
当時の先輩はこんな感じだった↓
ちょっとおバカな一面もあったけど、動物的な天性の勘の持ち主だった先輩は、仕事はそれなりにこなしていたので、そう言うところはスゴいといつも思ってたf(^^;
この人、全てが裏腹と言うかアンバランスと言うか、何処に本心があって何を考えて行動しているのかがサッパリ解らない掴み所のない人で、常に周りを振り回して引っ掻き回していた、、
そんな" ササ先輩 "に気に入られて?引っ張り回されていたのが、私とコバで、いつも仕事帰りに先輩のお供させられていたのである(((^^;)
彼女の何がスゴいって、先輩の名誉の為にも全部はとても書けないけど、上昇志向が人一倍強くて、恋愛に関しては特に奔放で、いわゆる" バイセクシャル "だったし、狙った獲物は逃がさない「女ハンター」そのもので、相手に彼女がいようが妻帯者であろうがそんな事はおかまいなしで、どんな手段を使っても落としてしまう強者だった😱
多分、落とすまでの過程を楽しむタイプだったのかもしれないが、狙われた相手としたらたまったもんじゃぁないと思う、、( ̄▽ ̄;)
一人っ子で寂しかったのもあると思うけど、夜な夜な飲みに誘われるので、仕事が終わるとそそくさと帰ろうとすると、「○○ゥ〜、今日も行くヨッ❕(* ̄∇ ̄*)」と言って、首根っこを捕まれ連れていかれちゃうのだ(-_-;)
その頃、一人暮らしをしていたマンションの隣の男性からストーカーみたく、部屋の前や地下鉄の入り口で待ち伏せされていた事もあり、あまり定時に帰りたくなかった私は結局先輩のお供をする羽目になっていた。
先輩は飲み代は奢ってくれるし、帰りのタクシーチケットも気前良くくれるのでありがたかったけど、その軍資金はどこから捻出していたのかは?だった( ̄▽ ̄;)
宝塚も大好きで、名古屋で講演があるとお気に入りの劇団員を何名か呼んでは飲み会を開いたり、私なんて宝塚市まで講演を観に泊まりがけでお供させられた事もあった。
飲むとハチャメチャに拍車をかけるので、危なっかしくて放っておくことも出来ない私達は、それからも仕方なくお供せざるを得なかった。
「ササ先輩は、一体何を目指しているんだろうねぇ、、」なんて、私達は呟いてたもんだ(--;)
マァ、どれだけ飲んだ次の日もちゃんとお仕事には出て来てたし、法に触れる事はしなかったので、私達も一緒にいられたのだとは思うけど、本当にハチャメチャでモラルと言う言葉なんて彼女の辞書にはなかったくらい劇的な人生を送っていたササ先輩( ̄▽ ̄;)
私が三重に帰って来てからは、会うこともなくなって音信不通となってしまったが、風の便りで聞いた話では、その後は益々破天荒な生活をしていたらしい。
暫くは、何故か先輩の事が心配で「大丈夫かなぁ」なんて思ってたが、直ぐに結婚して子育てに追われてたので、すっかり先輩の事は忘れたまま今まで来てしまった(^-^;
最近になって、昭和の思い出シリーズを書くようになって先輩の事を思い出すようになり、どうしているかなぁとは思っても、コンタクトは取ろうとは思えない私(^-^;
今、先輩と連絡が繋がったら、きっと又あの甘ったるいハスキーな声と名古屋弁で、「○○ゥ、子供も大学に行ってどうせ暇なんでしょ、出てこや〜(* ̄∇ ̄*)」なんて呼び出されるのに違いないから、、
ハチャメチャで破天荒で、散々振り回されたけど、何故か憎めなくてキライになれなかったササ先輩。今、平野ノラが先輩に出会ったら、きっと" オッタマゲー "と叫んだに違いない( ̄▽ ̄;)
今では良い思い出となってはいるけど、先輩が現在どうしているのか、どんな風に生きているのかは恐ろしくて考えたくない私なのだ、、😱😱
だけど、大丈夫_(^^;)ゞ
転んでもタダでは起きない先輩の事だから、何があってもきっと逞しく生きているだろう( ̄∇ ̄*)ゞ
後輩は、その年に入ったばかりの3歳年下の" コバ "と呼ばれてた、日本画の美人画家・松井冬子そっくりの超が付く程の美人で、彼女の事もいつか書こうとは思っているが、とにかくお互いに気が合った私達はいつも一緒に行動してた。松井冬子はこちら↓本当にこの写真なんてそっくりだ。
もう一人は、今日のヒロイン、" ササ先輩 "だ。
この人、私が未だかつて会ったことがない、これからもおそらく出会わないタイプの女性で、そんな人に出会った事自体が私の人生において貴重な体験❔と言えるだろう、、(((^^;)
記事にするにも憚れる様な、破天荒な性格と人生(と言っても、私はホンの数年しか知らないが、、)なので、今どんな風になってて、どんな風に生きているのかを考えるのも恐ろしいくらいだ😱
彼女はその当時では珍しい小顔で、松田聖子や中森明菜に似ていると評判の可愛いタイプの女の子だった。
でも、女子力の強かった先輩のお顔は念入りなメークの賜物で、オフの日にスッピンの先輩と会った時に識別出来なかった私に、「○○ゥ〜(私の名字)、ウフフ、私だよ、私、ササ👍」と可笑しそうに笑いながら話しかけて来た先輩は全くの別人だった😱
なので、私は、素顔とアフターメイクの顔がこれ程違う人にも出会った事がない( ̄▽ ̄;)
彼女は鼻にかかった甘ったるいハスキーな声と上目遣いで、少し首をかしげながら話すのが特徴で、小悪魔的な妖しい魅力もあったし、男性には人気があったと思う(^-^;
当時の先輩はこんな感じだった↓
ちょっとおバカな一面もあったけど、動物的な天性の勘の持ち主だった先輩は、仕事はそれなりにこなしていたので、そう言うところはスゴいといつも思ってたf(^^;
この人、全てが裏腹と言うかアンバランスと言うか、何処に本心があって何を考えて行動しているのかがサッパリ解らない掴み所のない人で、常に周りを振り回して引っ掻き回していた、、
そんな" ササ先輩 "に気に入られて?引っ張り回されていたのが、私とコバで、いつも仕事帰りに先輩のお供させられていたのである(((^^;)
彼女の何がスゴいって、先輩の名誉の為にも全部はとても書けないけど、上昇志向が人一倍強くて、恋愛に関しては特に奔放で、いわゆる" バイセクシャル "だったし、狙った獲物は逃がさない「女ハンター」そのもので、相手に彼女がいようが妻帯者であろうがそんな事はおかまいなしで、どんな手段を使っても落としてしまう強者だった😱
多分、落とすまでの過程を楽しむタイプだったのかもしれないが、狙われた相手としたらたまったもんじゃぁないと思う、、( ̄▽ ̄;)
一人っ子で寂しかったのもあると思うけど、夜な夜な飲みに誘われるので、仕事が終わるとそそくさと帰ろうとすると、「○○ゥ〜、今日も行くヨッ❕(* ̄∇ ̄*)」と言って、首根っこを捕まれ連れていかれちゃうのだ(-_-;)
その頃、一人暮らしをしていたマンションの隣の男性からストーカーみたく、部屋の前や地下鉄の入り口で待ち伏せされていた事もあり、あまり定時に帰りたくなかった私は結局先輩のお供をする羽目になっていた。
先輩は飲み代は奢ってくれるし、帰りのタクシーチケットも気前良くくれるのでありがたかったけど、その軍資金はどこから捻出していたのかは?だった( ̄▽ ̄;)
宝塚も大好きで、名古屋で講演があるとお気に入りの劇団員を何名か呼んでは飲み会を開いたり、私なんて宝塚市まで講演を観に泊まりがけでお供させられた事もあった。
飲むとハチャメチャに拍車をかけるので、危なっかしくて放っておくことも出来ない私達は、それからも仕方なくお供せざるを得なかった。
「ササ先輩は、一体何を目指しているんだろうねぇ、、」なんて、私達は呟いてたもんだ(--;)
マァ、どれだけ飲んだ次の日もちゃんとお仕事には出て来てたし、法に触れる事はしなかったので、私達も一緒にいられたのだとは思うけど、本当にハチャメチャでモラルと言う言葉なんて彼女の辞書にはなかったくらい劇的な人生を送っていたササ先輩( ̄▽ ̄;)
私が三重に帰って来てからは、会うこともなくなって音信不通となってしまったが、風の便りで聞いた話では、その後は益々破天荒な生活をしていたらしい。
暫くは、何故か先輩の事が心配で「大丈夫かなぁ」なんて思ってたが、直ぐに結婚して子育てに追われてたので、すっかり先輩の事は忘れたまま今まで来てしまった(^-^;
最近になって、昭和の思い出シリーズを書くようになって先輩の事を思い出すようになり、どうしているかなぁとは思っても、コンタクトは取ろうとは思えない私(^-^;
今、先輩と連絡が繋がったら、きっと又あの甘ったるいハスキーな声と名古屋弁で、「○○ゥ、子供も大学に行ってどうせ暇なんでしょ、出てこや〜(* ̄∇ ̄*)」なんて呼び出されるのに違いないから、、
ハチャメチャで破天荒で、散々振り回されたけど、何故か憎めなくてキライになれなかったササ先輩。今、平野ノラが先輩に出会ったら、きっと" オッタマゲー "と叫んだに違いない( ̄▽ ̄;)
今では良い思い出となってはいるけど、先輩が現在どうしているのか、どんな風に生きているのかは恐ろしくて考えたくない私なのだ、、😱😱
だけど、大丈夫_(^^;)ゞ
転んでもタダでは起きない先輩の事だから、何があってもきっと逞しく生きているだろう( ̄∇ ̄*)ゞ