感じるままに・・大人の独り言

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「第52回京の冬の旅・妙心寺その2」〜日本最大の禅寺の特別公開文化財の東海庵と明智光秀の菩提・浴室を観に行って来た(*^。^*)

2018-03-21 17:38:00 | オススメの神社仏閣
3月9日、「第52回京の冬の旅」で非公開文化財が特別公開されている妙心寺に行って来た私👍

妙心寺の中でも特別公開中となっている「三門(重要文化財)」と雲竜図のある「法堂(重要文化財)」を拝観した後、ガイド役のスタッフの方の案内で今度は明智光秀縁の「浴室(重要文化財)」を拝観する事に(^^)d
「浴室」がこちら↓


浴室は、「明智風呂」と呼ばれていて、明智光秀の菩提を追善するために建立されたのだそう。だけど" 何故、弔うのにお風呂なんだろう❓❓❓ "と言う素朴な疑問が、、σ(^_^;)?
その明確な理由を聞き逃したのかスッキリしなかったので、ネットで調べてみたところ、”逆賊という汚名を「洗い流す」ために作られたお風呂と言われている ”と言う事が分かった👍

「そっかぁ、そうだったんだ、、」と漸く納得した私。神社仏閣巡りをして、ブログを書いてると色んな事が分かって、とてもお勉強になるのだ(^^)v

こちらは浴室に入って直ぐの様子↓




お湯を沸かすかまどがこちら↓


こちらの浴室はお湯を溜めて浸かるお風呂と言うよりは、蒸気で身体を温めるサウナの様な蒸し風呂だった様だ。

こんなお風呂だと、入るのに果たして寒くはなかったのかしらと寒がりの私は思ってしまうのだが、当時のお寺では入浴も修行の一環であり、身を洗い清め仏につかえる為のお作法であったとの事。

こう言うところ一つにしても、禅宗は宗教ではなく修行だったと言われている事に納得f(^^;
こりゃ、私には無理だ💦
先日は、前世で落ちこぼれの修行僧だったかも、、なんて書いたけど、もし修行僧だったとしたら、脱走してたかもしれないな( ̄▽ ̄;)

脱衣場兼待合室がこちら↓


この日はお天気も良くなかった上に寒の戻りでメチャ寒かったので、「浴室」の説明が終わったら直ぐに最後の目的地である「東海庵」に足早に向かった私🍃

「東海庵」は、「法堂」を向かって右側に進んだ所にある↓


「東海庵」がこちら↓




「東海庵」は、妙心寺菩提寺院の一つで、「妙心寺四派」と呼ばれる内の一派である「東海派」の本庵との事。
文明16年(1484)、越前守・斉藤利国の妻、利貞尼(りていに)が、妙心寺の第十一世住持を務めた悟渓宗頓(ごけいそうとん)を開祖として創建されたそうだ。
今回の特別公開は、5年ぶりとの事🌠
門から見える中の様子↓


門を潜って直ぐの様子がこちら↓


内部の様子がこちら↓


東海庵は、それぞれに趣の異なる美しい3つの庭で知られている。
お庭など、写真撮影が可能な場所が多いのも嬉しい(*^。^*)

方丈南に広がる枯山水庭園「白露地(はくろじ)の庭」は、百坪余りの広さを持つ、一木一草もない一面の白砂にナツメ型の手水鉢が置かれただけの清浄感あふれる庭となっている↓
この光景は見ていると、ひたすら" 無 "になれそうな気がした。


ナツメ型の手水鉢がこちら↓


二つ目の庭が、江戸時代の禅僧・東睦宗補(とうほくそうほ)の作庭による書院西庭(史跡名勝)にある「東海一連の庭」と呼ばれる枯山水庭園でこちら↓青紅葉の時期は綺麗だろうな🌠


松を植えた三つの築山は、不老不死の神や仙人が住む三島を表し、三尊石や鶴石、亀石が巧みに置かれている。
そう言えば、1月に拝観した人形寺として有名な宝鏡寺にも鶴石と亀石があったな🐢


庭園の説明書きがこちら↓


又、このお庭は、自然石の一文字形手水鉢等も見どころとなっている。この一文字形手水鉢は、確か建仁寺にもあった↓当時の禅寺の流行りだったのかも(^-^;


橋柱の手水鉢がこちら↓



最後の3つ目の庭は、七坪の広さの書院南庭でこちら↓


直線状に並ぶ大小七個の石と、中央の意思を軸にして波紋の様に描かれた白砂が印象的な坪庭となっている。まるで小宇宙の様に見えてしまった私。


他には、方丈の「室中の間」のふすまには松に鶴などの花鳥が描かれ、仏間には開山・悟渓宗頓(ごけいそうとん)の木像が祀られていたり、紅殻塗の壁をもつ書院には、狩野派の絵師が手掛けたと伝わる、秋草などを描いた障壁画が残されている。書院内部がこちら↓


皇室縁の「青蓮院門跡」や「宝鏡寺」等に比べると、やはりとても質素である。




こちらは井戸がある空間の様子↓


以上にて、妙心寺の特別公開中だった「東海庵」も無事拝観した私(^^)d
御朱印もゲット👍


3月18日で今年の「京の冬の旅」も終了したが、私はこの期間中に宝鏡寺、妙覺寺、相国寺の法堂・方丈、豊光寺、林光院と今回の妙心寺・三門&東海庵を拝観する事が出来た(^^)d

こうやって、神社仏閣を一つ一つ訪れる度に御朱印と諸々の歴史や知識が増えて行って思考の幅が拡がって行き、自分の中で色んな点と点が線となり繋がって行く。そしてそれが、今の私の何よりの生き甲斐となっているのだ。

ただ一つ言えるのは、神社仏閣は自然の中で佇んでいて、自然と共に共存している事がその赴きと魅力をより増しているんじゃあないかと言う事。

なので、やはり神社仏閣巡りは寒々しい冬の時期よりは、梅や桜の美しい春や青紅葉で生命力溢れる夏、そして、紅葉の美しい秋に訪れる方がプラスアルファの魅力を感じる事が出来るなぁとは思う。


それでも今回、冬の禅寺の大本山である妙心寺を訪れた事は、それはそれで禅と言う意味を知る上で良かったと思っている。
最後に、私が感銘を受けた、妙心寺のHPに掲載されている「禅の教え」をご紹介したい(*^ー^)ノ♪

" 禅とは心の別名です。
ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。

私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。

世の中、意のままにならないものですが、正確には我欲のままにならないということです。禅語の「如意」は意の如くと、思いのままになることを言いますが「如意」の「意」は我欲のことではなく、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指しています。

この「ほとけ」の心の働きには「智慧」と「慈悲」があり、それは認許とも言い換えられます。自分とは違う相手を許し認め、自分とひとつとする「不生不滅・不垢不浄・不増不減」の空の価値観に立つおおらかな心のことです。

自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。
禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです。 "




とても難しいのだけれどこれを読み、改めて禅の教えについて憧れを感じてしまった。
されど悲しいかな、煩悩の塊の様な私では、修行僧どころか禅の入り口にも立てそうにない、、

それでもいつか心を真っ白にして、座禅なるものも体験してみたいものである(*^。^*)

妙心寺については、こちらを参考に👍

「第52回今日の冬の旅 妙心寺その1」の三門と法堂の記事についてはこちらを参考にしてネ

「妙心寺」
住所:〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町1
電話番号:075-461-5226
最寄り駅:花園(京都府)駅から徒歩約7分、※市バスだと「妙心寺前」より徒歩3分
営業時間:通年 9:10~11:50/通年 12:30~15:40