この世に生まれ、寿命を全うすると言うのは本当に大変な事なのだと、今の年になってつくづく思う。
若い時は、後先の事なんて考えずに突っ走る事が出来たし、失敗したとしてもやり直しや軌道修正もある程度は可能だった。
やみくもに感情の赴くままに突っ走るエネルギーがあったからだ。
だけど、今の年代になってみると、不確かな道に進むには勇気も気力さえも出ず、願わくばこの先の人生は家で草花をいじってのんびりと余生を過ごしたいとさえ思ってしまう(^。^;)
それが出来たらどんなに良いだろうなぁ。
写真は、先日主人が伊勢神宮内宮のお神楽を受けた際に頂いて来た授与品↓
だけど、「アリとキリギリス」のキリギリスの様に、若い時に老後の人生を何も考えずに貯蓄して来なかった私は、この先どれだけ生きるのかは分からないが、息子を自立させる為にお金を使い切ってしまった分、老後の蓄えを少しでもしないといけない(-_-;)
だから、悲しいかな、働けるうちは働かないといけないのである、、😱
授与品の中身↓
年を取るのも生きるのも本当に大変だ。
温暖化やコロナウイルスの影響で混沌としている今の世の中において、世界は、日本はどうなって行くのだろうと漠然とした恐怖や不安もある中で、「罹ったら、その時はその時だし、それで命を落とす事になっても、それはそれでいいや」と開き直ってる自分もいる。
混沌としているのは世界情勢だけじゃなく、自分自身を取り巻く状況でもあるけれど、今はもがけばもがく程がんじがらめになりそうな予感もあるので、こんな時こそ静かに息をひそめ、状況をしっかりと見極める事が必要なのではと思っている。
カオスな時ほど静観しないといけないのだ。
そして、自分を見失いそうになっていたら、オカルトチックな事に頼るのではなく、神仏を崇めて祈り、自分を見つめ直した上で良心に従って生きる事が大切なのではとここに来て思えるようになった。
授与品の説明書き↓
イライラしてても何も生み出せないし、悪循環になるどころか心身に良くないのは目に見えている。
今こそ基本に返って、スルーする力を養う時なのだ。
旅行やイベントなどのストレス発散手段は今のこの時期には到底無理なので、コロナウイルスが終焉した後のお楽しみと言う事で、色んな企画を妄想しつつ温めて機会を待つ事にしたい。
伊勢神宮のお神楽を受けた際に頂けるお神酒の「白鷹」は、まろやかで極上の美味しさである。これを頂いた事で、少しは淀んだ気持ちが浄化されたんじゃあないかしらなんて気がしている。
そう、今は、世界中が試されている時なのかもしれない。
白鷹がこちら↓
だけど、実際には「神はサイコロを振らない」。
真実を見失わずにきちんと一人一人が出来る事をしていれば、量子力学的にも良い方向に道は開けて行く筈だと、そう信じている。
私が一番好きな言葉、「神様は乗り越えない試練は与えない」と、「心配するな、何とかなる」の一休禅師の言葉と共に、惑わされず暴走せずに静観しつつ冷静に対処したいと思っている。
逆境やコロナウイルスなんかに負けるもんか‼️
頑張れ、自分❗