風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

靖国から市ヶ谷へ

2018年03月19日 | 私の絵日記



3/17 土曜日は3月の2度目の仕事で市ヶ谷へ 

でもその前に 今日にも開花宣言が出ると言う桜の標準木のある靖国神社へ行ってみた 

開花宣言後 真っ先に観桜の目論見

地下鉄九段下の改札を出ると沢山の人の動きが 道案内や「はいからさん」たちが

そうか 武道館で大学の卒業式か 季節だなー

外に出てみないと気づかないことが沢山あるね

靖国神社は子供の頃 母に連れてきてもらった記憶が強烈に残っている
それはこの大きな大きな鳥居と大きな灯篭のインパクトだったろうと思う

今回は坂道を上がっていく位置が良かったのだろうか
正に巨大な鳥居と奥に続く参道とそれに並ぶ並木
上がるにつれ見えてくる大村益次郎の銅像
去年の桜見物と その前の奉納相撲で訪れた時には感じなかった圧倒的な威容で迎えられた

残念ながら標準木に開花の桜は見付けられなかったが
奥にある「神池庭園」には満開と言っていいほどの桜が咲いていた
  
能楽堂そばの標準木              新池庭園の景色

     

境内を進みながら「慰霊の泉」「母の像」「戦没馬慰霊像・鳩」「魂塔・軍犬慰霊像」
グアム、硫黄島など激戦地から運ばれた石などを見て回る
そこには戦争がもたらせた多くの悲しみ 残された者としての慰霊の心が満ちていて
敬虔な気持ちになり 遊就館のロビーに立ち寄る 

零戦や加農砲(カノン砲)が展示されている
加農砲には弾丸が当たって抉れた痕がいくつもあった
そして「砲手の生死は戦車と一体である」と書かれていたのを読んで
どんな思いで戦っていたのかと胸が締め付けられる
伯父 父の兄も やはりここ靖国にいる
仏壇の引き出しには伯父の戦死によって賜ったものが残っていて
祖母の想いが伝わってくる これは残して伝えて行かなくてはいけないと思う
この日は「遊就館」に入場する勇気はなく 表に出る

外にも加農砲が展示されている これも母と来た時に見ている印象があった
子供心に「大砲だ」と思った記憶がある
説明に「薩摩藩で鋳造された」と書かれていて
大河ドラマ「西郷どん」の島津斉彬 渡辺謙のセリフを思い起こす
そしてタイムリーにも?夜のブラタモリでは「仙厳園」に
大砲を作るための反射炉を作ったという話が 見事なつながりでした

市ヶ谷に向かうため南門から靖国通りに出る時
南門そばの案内板の下に「ご自由にお持ちください」というチラシがあって
目をやるとそこには明治天皇の言葉と特攻隊員のものだろうか 
母や係累・国を思う最後の手紙の文面が
思わず鼻の奥にツンと来てグッとこらえる
戦争がもたらした出来事をしみじみと感じさせられた靖国だった

そんな思いをかみしめつつ 次回は桜見物で靖国神社へ~と靖国通りを市ヶ谷に向かう

途中通りの反対側に郵便局を見つけ 投函予定のハガキ用に切手を買いに寄る
休日でも受付をしている麹町郵便局だった

麹町郵便局と言えば・・・
昔 TVで日本テレビへの応募などは「麹町郵便局 私書箱〇〇」だったなーと思い出す
そう 今ではもう移転してしまっているが日本テレビがあったのはこの近所
今でも「日本テレビ通り」と通りの名前だけは残っている

靖国通りから一本中の道へ セーラー服の女子中学生らしき2人連れが
どこかで買った弁当の袋をぶら下げて大きなマンションへ
A子さん「四番町って言ったから〇〇ちゃんのとこだと思ったけど
     うちはこんなに大きなマンションじゃない
B子さん「でもここもう築何年かな~? 小学一年の時に引っ越してきた」

エントランスは威厳のある作り 見上げるほどの大きな立派なマンション
何気ない会話なんだろうけど「小一の時に越してきた四番町のマンション
私には眩しい限りだ

少し先には「大奥の石」と言うのが置かれていて
マンション建設時に見つかったと説明されていた
やっぱりこの辺は江戸の頃から活きていて土地の質・良い気のある場所なんだろうなー
なかなかに心満たす靖国~市ヶ谷散歩になりました

おまけ
夕べ ずーっとご無沙汰の弟から久々のTEL 
「今 靖国神社のそばにいるんだけど お姉ちゃんそっくりな人がいてさー」と
前日にあまりに心奪われたから私の気が靖国神社に残っていたのだろうか?

不思議だ~

コメント
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