風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

マコのこと

2020年01月18日 | 何となくひとり言
高校時代の友人マコとは娘さんが生まれたばかりの頃に家に遊びに行ってからは
ほとんど年賀状だけの付き合いになっていたのだけど
この時の娘さんが中学生の時に何故かGSファンになり
しかもなんと オックスの時代は野口ヒデトだった真木ひでとのファンになってた
   
スクラップブックのこのジュリーの裏にいた野口ヒデト そして別の写真の裏のオックス

「え~~~ なぜにジュリーじゃなくて真木ひでと~
しかもそれってお父さんと変わらない年の人でしょう?」に友人も苦笑い
で 近々修学旅行で京都に行くので「ジュリーの家を教えて」と留守電に入ってた
高校の修学旅行の時 私がジュリーの実家を見に行ってたのを思い出したんだね
丁度 会社を辞める間際で私もバタバタしてて帰宅が遅かったが
修学旅行も迫っていたので夜遅くではあったけどすぐに連絡を入れた
話をして帰宅が夜遅いことに驚いていたっけな


京都・美少女がたたずむジュリー宅なんて副題もあったりして
当時は個人情報なんてお構いなし ここまで詳細に書かれたんじゃね
地図を頼りに当時の修学旅行生は殆ど行ったのでは?
一応分からないようにぼかしてみたが・・・



「修学旅行のお土産がある」し 私がまだ持っている「GS関係のものも見たい」ってことで
当時住んでた藤沢に母娘で来ることになった
その頃 私は父のリハビリもあって実家と藤沢を行ったり来たりしてて
その日は一緒に藤沢に行くことにして東京駅のホームで何年振りかの再会
娘さんのお蔭で交友が復活した

つ~きぃもおぉぼぉろにぃ~ひがぁしぃやぁまぁ~


マコとは年賀状の付き合いが続いていたが 私からの年賀状は毎年元旦に届いたことがなく
マコは「年賀状が来たから仕方なく返信で年賀状を送って来てるのだ」と思い
ある時 自分から年賀状を出すのを止めてみたらしい
ところが その年も3日だか4日に私からの年賀状が届き
「貰ったから仕方なく返信ではなかったんだ」と年賀状の付き合いが復活した
そんなことがあったなんて気付いてなかった私はこの話を聞いて
「危ねぇ~~~ ちゃんと出してて良かったぁ~」と言ったら
「忙しくて年末まで年賀状を書けなかったんだね」と労わってくれた
ちなみに今年は元旦に届くように期日までに投函しました

娘さんのおかげでその後 高校時代の「ダンゴ」も含めて3人で会うようになった
私は高校時代「マエタケ」と呼ばれてて マコの家でも私の事は「マエタケ」で通ってたらしい
「マエタケ」が何から来てるのか知らない子供たちはキノコの一種くらいに思っていただろう
自分の母親があだ名で呼び合う私たちの付き合いを「子供たちはどう思ってるんだろ?」
ってマコが言うから「ダンゴとマエタケの中にマコだよ? 自分の母親が一番かわいいって
思ってるんじゃない」って答えたのにも笑ってたな~

東京駅で再会した時 父のリハビリの状況を話したら
「その経験でマエタケは人間的に大きくなるね」と言ってくれた
そういう風に見てくれた人はいなかったからその優しさが嬉しかったなー

そんなマコは早くに逝ってしまった
交友が復活して会えてて良かったと思う 娘さんに感謝です
合 掌



コメント (4)
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