「価値観は人それぞれ」って言い方って、便利だなーと思う反面、冷たいなーとも思う…(´・ω・` )
わたしは、本当に誰かのためを思うなら、
それが相手を傷つける可能性を持つ言葉であっても、
それを言うことで自分が憎まれ役になってしまうとしても、はっきりと思ってることを伝えるのが愛情なんだと思ってた。
けどその役回りって大体の場合はほんとに憎まれ損に終わるだけなんだよなぁ。
にこにこしながら、「自分の好きなようにすればいいよ、自分の人生なんだから」とか、「価値観は人それぞれだから、他人がどうこう言う問題じゃないよね」って受け流す人のほうが、
「なんて心が広くて理解がある人!」って思われるんだよね(´・ω・` )
たとえば、
ある友達が「最近めちゃくちゃ頻繁に痴漢にあうんだよね、ほんとにこわい><どうしたら痴漢されなくなるかな?」って相談してきたとして、
痴漢するやつが悪いんだっていうのは勿論大前提であるとしても、
その友達の服装があまりにも派手で、下着かい!って感じの挑発的なものだったとして。
「痴漢されるのは可哀想だし、そんな事する奴は最低だけど、多分あなたの服装にも問題があると思うよ。もう少し露出を控えたらまだしも狙われにくくなるんじゃないかな?」
って言ってあげられるのが愛であって、強さなんだとわたしは思うんだけども。
思ってることをそのまま言うことで、
「わたしが悪いって言うの?!ファッションはその人の個性なんだから、それを否定するってことはわたしを否定するのと一緒だよ!」
とかいって恨まれる厄介さとか怖さを考えるひとは、知らん顔して「ひど~い、可哀想に~!どうしたらいいんだろうねー!」とか言って済ませるんだろうなぁ。と。
自分が正義感に燃えまくってるので、自分と反対のことを言うひとは悪であり間違ってる!って言いたい訳じゃないけど、なんかさ、腑に落ちないよね。
これ言ったら恨まれるだろうからやめとこ、
とか思いつつ表面上だけの付き合いをするのって何だかなぁ。
結局、相手がどういう決断をしようが自分にとっては痛くも痒くもないことだから、労力使って本気のアドバイスをする必要もないんだろうな。
またたとえ話になるけど、
自分の友達が突然会社をやめて、ミュージシャンになる!!とか言い出したときなら、
「自分の人生だし、他人がどうこう言うことでもないよね☆応援するよ!」
って言うようなひとでも、
自分の家族や恋人が同じことを言い出したら「いやいや、ちょ、待てよwwww」ってなることでしょう笑
「自分の人生なんだから他人が口出しすることじゃない」
とか
「価値観は人それぞれ」
って言葉って、上にも書いたように、一見すごく柔軟でこころが広く理解がある人が言うような感じがして聞こえは良いというか綺麗な言葉だけど、
ほんとはただの事なかれ主義で、ひとの人生に関わって責任を持ちたくないっていう、ただの無責任なひとの使う常套句なんじゃないかなぁー。
と、思うわけです。
だってそんな事言ってしまったら、
全ての悩み相談やアドバイスが何の意味も持たなくなるもの。
元も子もないじゃない?
自分の人生を決めるのは自分自身だって、そんなのみんな知ってるっつーの!
どんな事においても最終的に決断するのは自分以外の何者でもない、そんなの当たり前じゃん。
それでも行き詰まって、
どうしたら良いかわからなくなったとき、
自分の事を必死に考えてくれて発してくれた誰かの言葉があれば、
それだけで嬉しいし、救われた気持ちになるし、
それが自分にとっての道標になるかもしれないじゃん。
相談すること、されることそのものに意味があるとわたしは思うんだよね。
大学にはいって、高校までの人生に比べてもっともっとたーーーくさんの人に出会って関わることができたけど、
その中で深い関係を保ててるひとがわたしには一体何人居るだろうか(´・ω・` )
上に書いたことと矛盾してるけど、
大学にはいってからはトラウマになるような揉め事が何件かあって、労力を使って本気で人とぶつかり合うのが馬鹿みたいに思えることが多かったのも事実。
そういうのを経て、
なんとなく賢くなった気もするんだよね。
あ、
今までのわたしなら、ここでこう言う苦言を呈してたけど、これ言ったら嫌われるだろうなぁ。
っていうのがもう読めるようになってきた。
けど、やっぱり表面上だけの付き合いって虚しいし、
わたしは誰かに深く関わるからには、無責任なことは言いたくない。
難しいなぁ…(´・ω・` )
わたしは、本当に誰かのためを思うなら、
それが相手を傷つける可能性を持つ言葉であっても、
それを言うことで自分が憎まれ役になってしまうとしても、はっきりと思ってることを伝えるのが愛情なんだと思ってた。
けどその役回りって大体の場合はほんとに憎まれ損に終わるだけなんだよなぁ。
にこにこしながら、「自分の好きなようにすればいいよ、自分の人生なんだから」とか、「価値観は人それぞれだから、他人がどうこう言う問題じゃないよね」って受け流す人のほうが、
「なんて心が広くて理解がある人!」って思われるんだよね(´・ω・` )
たとえば、
ある友達が「最近めちゃくちゃ頻繁に痴漢にあうんだよね、ほんとにこわい><どうしたら痴漢されなくなるかな?」って相談してきたとして、
痴漢するやつが悪いんだっていうのは勿論大前提であるとしても、
その友達の服装があまりにも派手で、下着かい!って感じの挑発的なものだったとして。
「痴漢されるのは可哀想だし、そんな事する奴は最低だけど、多分あなたの服装にも問題があると思うよ。もう少し露出を控えたらまだしも狙われにくくなるんじゃないかな?」
って言ってあげられるのが愛であって、強さなんだとわたしは思うんだけども。
思ってることをそのまま言うことで、
「わたしが悪いって言うの?!ファッションはその人の個性なんだから、それを否定するってことはわたしを否定するのと一緒だよ!」
とかいって恨まれる厄介さとか怖さを考えるひとは、知らん顔して「ひど~い、可哀想に~!どうしたらいいんだろうねー!」とか言って済ませるんだろうなぁ。と。
自分が正義感に燃えまくってるので、自分と反対のことを言うひとは悪であり間違ってる!って言いたい訳じゃないけど、なんかさ、腑に落ちないよね。
これ言ったら恨まれるだろうからやめとこ、
とか思いつつ表面上だけの付き合いをするのって何だかなぁ。
結局、相手がどういう決断をしようが自分にとっては痛くも痒くもないことだから、労力使って本気のアドバイスをする必要もないんだろうな。
またたとえ話になるけど、
自分の友達が突然会社をやめて、ミュージシャンになる!!とか言い出したときなら、
「自分の人生だし、他人がどうこう言うことでもないよね☆応援するよ!」
って言うようなひとでも、
自分の家族や恋人が同じことを言い出したら「いやいや、ちょ、待てよwwww」ってなることでしょう笑
「自分の人生なんだから他人が口出しすることじゃない」
とか
「価値観は人それぞれ」
って言葉って、上にも書いたように、一見すごく柔軟でこころが広く理解がある人が言うような感じがして聞こえは良いというか綺麗な言葉だけど、
ほんとはただの事なかれ主義で、ひとの人生に関わって責任を持ちたくないっていう、ただの無責任なひとの使う常套句なんじゃないかなぁー。
と、思うわけです。
だってそんな事言ってしまったら、
全ての悩み相談やアドバイスが何の意味も持たなくなるもの。
元も子もないじゃない?
自分の人生を決めるのは自分自身だって、そんなのみんな知ってるっつーの!
どんな事においても最終的に決断するのは自分以外の何者でもない、そんなの当たり前じゃん。
それでも行き詰まって、
どうしたら良いかわからなくなったとき、
自分の事を必死に考えてくれて発してくれた誰かの言葉があれば、
それだけで嬉しいし、救われた気持ちになるし、
それが自分にとっての道標になるかもしれないじゃん。
相談すること、されることそのものに意味があるとわたしは思うんだよね。
大学にはいって、高校までの人生に比べてもっともっとたーーーくさんの人に出会って関わることができたけど、
その中で深い関係を保ててるひとがわたしには一体何人居るだろうか(´・ω・` )
上に書いたことと矛盾してるけど、
大学にはいってからはトラウマになるような揉め事が何件かあって、労力を使って本気で人とぶつかり合うのが馬鹿みたいに思えることが多かったのも事実。
そういうのを経て、
なんとなく賢くなった気もするんだよね。
あ、
今までのわたしなら、ここでこう言う苦言を呈してたけど、これ言ったら嫌われるだろうなぁ。
っていうのがもう読めるようになってきた。
けど、やっぱり表面上だけの付き合いって虚しいし、
わたしは誰かに深く関わるからには、無責任なことは言いたくない。
難しいなぁ…(´・ω・` )