グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

戦前の米国からの極東ルート

2005年04月30日 | 実物・歴史
 (鈴木光太郎さんのコメントへの回答その2です。不十分な点があると思いますので、良くご存知の方、コメントを頂ければ幸甚です。)
 GNの創業者ともいえるJames J. Hillは当初からアメリカ大陸横断鉄道と海路によってアメリカ東部と東洋を結びたいと考えていました。1893年1月6日にロッキー越えの難所であるカスケード越えが完成(その後、1900年に旧カスケードトンネル、1929年に新カスケードトンネルが完成)し、東部とシアトルが結ばれました。直後の1896年にGNはJames Griffithを日本に派遣し、その年8月31日に日本郵船とセントポールで契約に調印しました。これでシアトル~横浜~香港の定期航路ができたことになります。最初にシアトルに入港したのは三池丸でした。1900年にはGNも船会社を設立し、当時世界最大の28,500トンの蒸気船「ミネソタ」と「ダコタ」を発注し、1904年に両船は就航しました。しかし。独占禁止法の強化(鉄道会社は船会社から撤退しなければならない)や、ダコタの横浜港近くでの座礁事故もあって、1917年にはGNは海運業からは手を引いていました。日本郵船との関係はその後も続きました。
 上の写真は1941年にGN埠頭に停泊している日本郵船の「平安丸」から、ユダヤ人難民が下船しているところです(ワシントン大学写真コレクションより)。
 Hillの東洋への夢を表すものとしては、特急列車名もあります。1905年に走り始めたOriental Limitedや、1929年からのEmpire Builderです。また、Oriental Limitedでは、多くの寝台車がTokio、Yokohama、Manila、Foochou、Fujiyama等の東洋の名を付けられていました。
(以上、概ねWood’s Bookより)


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6 コメント

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戦前の米国からの極東ルート (鈴木光太郎)
2005-04-30 21:10:06
ありがとうございます。

Union Pacific & Central Pacific の横断鉄道が出来たのが、

1869年ですから、1900年完成というのは以外と後だったわけですね。

何となく1880年頃かな?と思ってました。

考えて見たら、Great Northern には西部劇調機関車の写真を見たことがない(多少あるのかも知れないが)のは、そのせいかも知れません。
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カスケード超え (Jackおじちゃん)
2005-04-30 22:56:16
ご指摘の通り、GNは2箇所のロッキー山脈越えがあり、アメリカンでは役不足で、1890年代からコンソリデーション、マストドン等が幅を効かせていました。

なお、誤解を与える書き方で恐縮でしたが、最初のカスケード越え(多数のスイッチバックでトンネル無し)が完成し大陸横断鉄道として機能し始めたのが、1893年1月6日です。
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横断ルートの完成年 (鈴木光太郎)
2005-05-01 08:19:43
失礼しました。ちゃんと1893年、と書いてあるのを読み間違えました。



あと、GNは米国鉄道会社の中ではマレー式蒸気機関車の採用がかなり早く、3番目あたりだったと記憶してます。(もしかしたらもう一社、早い採用会社があったかも)

Baltimore&Ohio鉄道(0-6-6-0)、Erie鉄道(0-8-8-0)、の次あたりで1906年の2-6-6-2、で初めての先従輪付きマレーでした。

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初めてのマレー (Jackおじちゃん)
2005-05-01 09:38:31
Wood's Bookによれば、「1906年に始めて導入された複式マレー、L-1クラス2-6-6-2(ボールドウィン製)は、1904年のセントルイス博覧会で披露され、B&O鉄道で問題なく使用されていた0-6-6-0の改造版である。」との記述があります。
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B&OとGNのマレー (鈴木光太郎)
2005-05-01 23:00:13
今晩は。細かい話ですが、

B&Oの0-6-6-0とGNの2-6-6-2を比較すると

蒸気圧力は B&O,16.5kg、GN,14.7kg

気筒径×行程は

B&O,508mm,813mm×813mm、GN,508mm,787mm×762mm

動輪径は B&O,1423mm、GN,1397mm



なので、若干小ぶりにした上、先輪を付けて速度向上を狙ったものと思われます。

グレートノーザンの話からそれちゃってすいません。
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氷川丸 (Jackおじちゃん)
2005-05-02 14:09:24
本屋さんの有隣堂のホームページで氷川丸についての対談を見つけました。それによると、チャップリンや宝塚少女歌劇団がシアトル~横浜航路を利用したそうです。他にも、ロンドン軍縮会議の批准書を運んだりしていたそうです。

 また、「シアトルという町は、氷川丸に対してものすごく強い思い入れがあったのです。シアトルはグレートノーザン鉄道を父、日本郵船を母として繁栄した町であると。」とのご発言もありました。

http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/394_1.html
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