グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第7章 ディーゼル (その2)

2005年10月11日 | Wood's Book翻訳
 1926年、GNは北西部で初めて、真のディーゼル「オイルエレクトリック機関車」、No.5100、Alco-GE-Ingersoll Rand製に投資した。この機関車は、セントポールとミネアポリスのツインシティターミナルで使用され、そこでディーゼル入替機関車は実用的で、蒸気入替機よりもコストが安いことを証明した。
 1938年までには、GNは確実に多くのディーゼル入替機を購入していた。GNは、600馬力及び1000馬力の機関車をElectro Motive Corporationに28両発注し、鉄道全体で利用することを計画していた。1940年、41年には、17両のディーゼル入替機が追加発注された。17両の内訳は、GEの360馬力の小型機1両、ボールドウィンの2両の1000馬力の入替機(ミネアポリスとセントポールでの運用用)、EMDの14両であった。
 更に重要だったのは、以下の車両の発注であった。EMD FT A-B 3セット、ウォルトンヒル(マリアス峠)用のFT A-B-A 1セット、インターベイ~スカイコミッシュ間用のA-B-B-A 4セットである。この発注は、プロトタイプの4両ユニットのFTディーゼルNo.103により明らかにされた能力の直接的な結果によるものであった。No.103は、ロッキーやカスケードでGNの最大級の機関車(間接型のN-3、更に大型のN-2、N-3)以上の牽引力と実績を示したばかりでなく、ほとんど疲れを見せることがなかった。その90%という使用可能時間は、他の機関車ではありえなかったものであり、GNの機関車運用部門に強い印象を与えた。アイアンレンジでのきつい走りを終えた後、短時間での整備、ディーゼルオイルの充填だけで、最小限の整備しか必要としない重量級線路のように、ディーゼルはいつでも発車準備OKであった。きれいにすべき火室も、洗浄すべきボイラーも、きちんと走らせるための詳細な整備も、煙菅からの漏れや緩んだ機器も、無かった。もし次の仕事が軽量客車であれば、常時連結の2組のA-Bセットに別れて、一組はその軽量客車に、もう一組は他の客車や軽量貨物牽引に使用することも可能であった。
 4両ユニット貨物用機関車の各ユニットは、1350馬力、57,000ポンドの牽引力を有するV-16シリンダーディーゼルエンジンを搭載していた。ギア比は用途に応じて発注可能であり、低いギア比(最高速度時速65マイル)であれば、各ユニットは軽量ミカドと同程度の力を持っていた。ハイスピード用ギア比では、最高速度は時速89マイルとなる。貨物用に発注されたほとんどのFTは最高速度時速65マイルのギア比であった。他方、第二次大戦後にやってきた旅客用のユニットは、最高速度89マイルで発注された(本当は90マイル前半の速度を出すことが可能であったが)。

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