愉しみは哀しみの始まり
出会いは別れの序章・・・
また私にとって大切な人が永久の世界に旅立ってしまった。
世間知らずの私が学校卒業して稼業についた時の大番頭を務めていた彼は、雲の上のような存在だった。
学生時代に学んだ机上の論理など何も意味を持たない経験則の世界に苛立ちと後悔の日々を繰り返していた。
現場至上主義の母は青臭い私の意見など聞き入れる筈もなく、目の前の仕事をどのように裁くのか彼の腕に掛かっていた。
同い年ながらどんどんと仕事を熟していく工員たちに畏怖とジェラシーの念を懐きながら、迷い悩む私に彼は呼び捨てしながら追い打ちをかけるように厳しい言葉を投げつけた。
「役に立たん奴だな」
「お前には(俺たちの)心意気などわかるはずがない」
「一体何がしたい?」
多感な時期を父親無しで成長してきた私にとって優しさは求めても、厳しさは憎悪にしか値しなかった。
『いつか彼を完膚なきまで叩きのめしてやる』
やがて誤った目標を据えた私は我武者羅に仕事をした。
現場作業は勿論のこと工学部には縁が無かった経営に関する本を読み漁った。
次第に外部からの評価も変わり、仕事の依頼も増えてきた。会社の業績も上がり社員も私のことを「社長の息子」から「専務」と呼ぶようになった。
私は彼に勝ったと思った・・・
酒が好きな彼とはよく飲んだ。
あまり酒に強くない私を彼はよく馬鹿にした。
彼は酒が強いというよりも酔うほどに人格が変わっていった。
機嫌が良いと『会津磐梯山』をよく歌った。
とても上手だった。
気分が乗ると『座頭市』の物まねをした。
何度見ても大うけだった。
やがて酩酊した意識の中で『東京だよおっ母さん』を歌った。
眼に涙を浮かべて、溢さぬように天を見上げて歌った。
そして私に言った。
『お前の心は美しいか?』
島倉千代子を追うようにして亡くなった彼には勝てなかった・・・
今日の私があるのも、こうして仕事ができるのも、彼無くしては在り得なかった。
今にして思う、心から感謝の言葉を彼に伝えられなかったことに後悔する。
こんな懺悔をここでしても仕方がないかもしれないが、もし彼を知る人がこの記事を読んだなら彼を偲びながら弔い酒を飲んで、彼を讃えて欲しいと思う。
きっと彼は先に待っている飲み友達との再会を喜んでいるだろう。
手拍子と茶碗を箸で叩きながら庄助さんといっしょに歌っているだろう。
永遠に・・・