Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

Non sono lei

2015年03月20日 | 毎日の話

パトリシア・カースがエディット・ピアフの曲のカバーCDを出していて、タワーレコードで何度も手にとってはみたが、結局買っていない。彼女には似合わない歌い方という単純な理由だが、その前に好きな曲がチョイスされていないことの方が決定的だと思っている。

好きな曲が入っていれば欲しいのだが、彼女にとってはこれは失敗作だったと思っている。昔、ラウラ・パウジーニも英語版のオリジナルCDを出したが、これは明らかに失敗作だった。歌手には雰囲気がある。彼女はラテン系であって、相当レッスンしたと聞くが英語圏では無理がある。カースも純粋なフランス語で歌うが、あの独特の巻き舌のような旋律が根底にあるピアフの曲を歌うのは、絶対無理がある。やはり若いZAZの歌い方に軍配があがる。

ラウラは、必ずイタリア語とスペイン語のCDをほぼ同時に発表する。イタリア語だけではどうしてもセールスが伸びない。世界でイタリア語を使っている人たちは少ない。しかし、スペイン語だと植民地が多かった、大航海時代の範囲が全てカバーできる。

彼女はアメリカでもツアーを行うが、どちらかといえば中南米が圧倒的に人気が有る。ララ・ファビアンもそういう意味では同じだ。ベルギー出身で、カナダで育ち、最初は英語のCDを発売した。もちろん人気は出たが、フランスでブレイクした。その後彼女は、フランス語中心だが、イタリア語もスペイン語でも歌う。そして、近頃はロシアに活動の場を広げている。東ヨーロッパはロシア語が冷戦時代の影響で普及している。だからヨーロッパを席巻するならロシア語、フランス語、スペイン語を抑えれば問題無い。英語は公用語というが、それはビジネス的な発想であり、少し認識が違う。

ならば中国語やヒンディー語だっていいはずである。しかし、文化が違う。こと音楽はわからないが、マーケットとしてはダメなのだろう。ダムの世界も同じで、論文の第一言語はフランス語だ。いつも侵略を繰り返されたフランスが第一公用語とは不思議だが、ダムの歴史を振り返るとこの辺は理解出来る。この話は、いつかしたいと思う。

さて、久しぶりに古いラウラの音楽を聴いている。どちらかといえば、今はアナリーサやキアラといった若手の女性歌手ばかり聴いている。これは反省。映像とともにこの曲を聴いてみてください。結婚する前の彼女だが、クラシカルな雰囲気がとてもいい。

Laura Pausini - Non sono lei


もういい加減にしてほしい「テロ」

2015年03月20日 | 毎日の話

今朝も霧雨。暖かく、昨夜は霧もかかった。今朝早くからJerryが騒いでいる。「雨だよ、雨だよ」と知らせているようだが、「寝ていろよ」と言いつつも、仕方ない。結局、顔を見て、怒られて眠りに入っている。自宅を出るときにはもう爆睡していた。

Emmaは、一緒に起きて爪研ぎをするが、先に起きていたずらしていたLauraの攻撃にあって、また寝床に戻った。

 

地下鉄サリン事件からもう何年も経った。この事件を知ったのは、初めて訪れたネパール王国のカトマンドゥのホテルだった。英語力のなさもあって、4000人以上が亡くなったと勘違いしたが、まんざら間違いでもなく、大事件だと驚いた。9.11のテロの時も確か帰国して、新宿で食事をしていた時に、映画のような画像を見て、これも勘違いかと思ったが、大事件だった。

 

地震であったり、湾岸戦争だったり、テロだったり、ほとんどが海外に行っていた時か、帰国前後の出来事だった。霞が関の朝の通勤時間帯に発生したサリン事件。亡くなった方はさぞかし無念だったろう。

 

昨日もチュニジアでテロがあった。インタビューはフランス語が飛び交っていた。もともとフランスの植民地だったチェニジアは、60年ほど前に確か独立したはずだ。地中海沿岸諸国は、古くはギリシャ、ローマ帝国、オスマン帝国、、、幾つもの侵略によってずっと不安定な状態だった。近代史でも英国と仏国等々で機械的に国境が決まり、民族や宗教戦争がいつでもくすぶっている。黒海周辺も同じだし、やれ十字軍だの、古くはモンゴルの支配もあった。モンゴルタタールといった言葉や「くびき」といった言葉を世界史で習った記憶がある。

 

電子百科辞典で調べてみると、チュニジアの独立は1956.3.20。なんと記憶は確かだったが、今日がフランスからの独立記念日だったのだ。この国にフランスが攻め入ったのは19世紀の終わり頃のベルリン会議の結果だった。その会議には英国、仏国、獨逸、墺太利、洪牙利、露西亞、伊太利亜、そしてオスマン帝国だった。だから、北アフリカには選択権はなかったのだ。

 

それにしても、日本人は遠くに旅しているものだ、楽しかったはずの旅が一瞬で終わりを告げる。エジフトのルクソールでのテロも、記憶に新しい。安心して旅ができる場所は少ないだろう。もっとも安心とされる日本でも、サリン事件もあったし、旧赤軍派闘争もあった。ぜひ、穏便に、秩序をもっていただきたい。一重に米国の大統領の力無さが原因だ。と思う次第。