いやあ14巻という数字はそれなりだけどもジャンプスクエアだったことを考えればなかなかの長期連載だったと言える。
まさか虚無るとは思わなかった。
いや実写版キャシャーンのイデオンエンドな展開のような、とか。
あるいは500円x14=9000円とはなんだったのか、とか。
金返せとは言わないが、メトロポリタンマンみたいなデスゲーム展開から長々、いや本当に長かった。特に教授が本格的に参入した10巻以降の展開は、スラムダンクとかドラゴンボールのアニメが原作喰ってしまって次の展開待つために永遠と須臾を操ったかのような延命展開になったのを想起させてくれた。
メトロポリタンマンのときは、これからどうなっていくんだろうというスリリングな展開が、バトルシーンも相まって緊張感を持って見守ることができたのだが、教授が登場してこの世界の真実は…と語りだしてから観念的な議論が、ほぼ単行本4冊にわたってああでもないこうでもないと続いてしまったように感じる。
巻数とか展開とか、昔読んでいた「破壊魔定光」をなぞったといえば双方に無礼だが、
前半の異世界からの侵入と人類どうしのパワーゲームが緊張感と期待感を持って読み進められていた一方、中盤以降量子論から始まり理屈が先行してストーリーがどうなったのか読み進めるのがしんどい展開になり最後はご破算リテイクという展開
は、なぞったという言い方をしても差し支えないのではないかと思う。理屈にこだわりすぎてストーリーがあんまりになってしまったのは昨今話題の「サムライ8」でもそうだが、サム8の突っ込みどころはそんな上等なところではなくそもそも登場人物の人格に問題があることなので、同じかと言われればそうでもない。
雑な言い方をしてしまえば、考えすぎだったのではないかと思う。理屈の整合性を取るために描写を細かく、サイドストーリーも添えて一辺倒ではない考え方の多様性を見せたりするのは丁寧だったが、だからこそメインストーリーは延び延びになった。
小畑先生の絵で魅せる作風もまた展開が伸びる結果につながってしまった。これに関してはバトル要素があれば必ず尺を喰うし、特に動きを丁寧にやろうと思ったら体感時間が短いのに全体的な尺は長くなっているということは避けられない。
が後半はずっと議論だった。
これを諾とできるのは上級者でありよほどのファンでなければ辛いのではないかと思う。「バガボンド」の末期にずっと農作業してる宮本武蔵でもなんだかんだ読めたのは、苦難に対する挑戦という我慢展開が仲間の参加とかそこからくる進歩的な展開とかがあったからだ。「プラチナエンド」後半はずっと出ない結論を絞りだすような内容をアングルを変えて撮影してきた進行の遅さがフラストレーションになっていた。それでもなんだかんだ円満完結かな?と思ったら最後に落として来ましたね。
いやあ、それまで幸せだったのに最期が不幸だったから今までの幸せがぜんぶチャラになったような、そういう感覚でした。そういえば「デスノート」も最後の最後にご破算になって終わる展開でした。
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