世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

性教育

2015-09-18 03:39:16 | コカブの部屋

コカブです。

さて、われわれにとっては非常に苦手な分野ですが、あなたがたにとってとても重要な問題に、性教育があります。

男女の違い、セックスの仕組みなど、生物的なことを教えることは簡単ですが、セックスにおいて何を重要なこととすべきか、それを教えるのは重要なことです。

男性のセックスと、女性のセックスには、ちがいがあります。男性はセックスでいつでも快楽を得ることができますが、女性にとっては、セックスは試練です。これがわかっていない男性が多すぎると思うので、ここで語っておきましょう。

女性にとって、セックスは痛いことを順々に乗り越えて行かねばならない、重要な問題です。処女喪失の時の恐怖感と痛さ。妊娠したときの様々な体の変化による苦しさ、最大の難関である出産の痛み、それよりももっとつらいのは、育児の苦労。授乳、襁褓の交換、夜泣き、気が変になって子供を放り出してしまいそうになることすらある、苦難の道です。

おまけに女性には、セックスによる快楽はほとんどありません。前に彼も言ったことがありますが、セックスによって女性がオルガスムスを得るのは、一生に一度あるかないかです。この真実を、知らない男性が、多すぎます。

女性は全身が性感帯だと言うのは恐ろしい嘘です。一体だれが言い出したのか知らないが、若干の侮蔑を込めて言われていることからして、そのものは多くの罪の借金を払わねばならないでしょう。

まあそういうことも、授業でそれとなく教えてあげてください。セックスという問題は、長い間タブー視されて闇の中に押しやられていたので、現実とは違う間違った伝説が、たくさんはりついています。古くからある伝説などは信じない方がいいと、子供たちに教え、そしてセックスのもっとも幸福な形を、教えてあげてください。

かのじょも言っていましたが、セックスは愛によって行いなさいということばを、子供たちの心に植え付けなさい。愛とはなんですか。自分の事より、相手のことを思いやることです。愛があれば、何でも人のためにしてあげたくなります。愛の中でセックスを行うと、不思議な魔法の花が開きます。それは何か。相手の女性、あるいは男性を、あまりにも愛おしく感じてしまうのです。まるで相手が、自分自身よりも大切なものになってしまったかのような幸福を、人間は、愛のセックスの中で経験することができるのです。

性欲だけのセックスはただ一瞬の快楽です。ほかにはなにもありません。だけれど、愛の中で愛する人と美しいセックスを営むとき、相手の人が一生を共にする美しい半身となるのです。もう他の誰も目に入らなくなる。自分の愛する人より美しい人はいない。そんな暖かな愛の中で、人は人生を生きて行くことができるのです。自分の妻や夫がだれにもわたしたくない宝物になるのですよ。それが本当のセックスの美です。

あまりむずかしいことは、子供たちにはわからないでしょうが、子供たちの体が大人に近づいてきたとき、必ず、セックスは愛で行いなさいと、教えてあげましょう。




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生き方を教える

2015-08-29 04:37:14 | コカブの部屋


コカブです。今日は高等教育について考えてみましょう。

中学や高校生になると、子供もだいぶ手ごわくなってきます。教師の弱点を見ぬき、内心教師を馬鹿にし始める子供もいます。

国語や数学を学ぶことも大事ですが、学校教育の一番の欠点は、人間としての美しい生き方を教えられる教師がほとんどいないということです。社会人としてのルールを守ることは教えられますが、より高い人格を目指すためには何をすればいいのかということを、教師は生徒に教えることができないのです。なぜなら、教師ですらそれを知らないからです。

知識を与え、肉体的鍛錬をさせるだけでは、教育になりません。教師本人が人間の優れた生き方ということをつかみ、それを生きていない限り、まことの教師とは言えません。

まずは、自分の心をちぎる、という訓練を試みてみなさい。わたしたちには簡単なことですが、人間にはまだこれができない人が多いのです。心をちぎるということは、人生は自分の思いどおりにならないということを知り、自分のわがままや子供っぽいプライドをちぎり捨てるということです。そして皆の幸せのために生きて行くということの、真実の幸福を理解することです。

子供は人形ではありません。知識を教えるだけでは教師とは言えません。生徒を愛し、どうやってこの難しい社会を、自分を裏切らずに生きて行けるのか。その見本となれるような生き方ができなければ、真の教師とは言えません。傷つくことを恐れずに、生涯、自分の壁に挑戦し続けていきなさい。ひとりの人間として、愛のために、真剣に生きている自分の姿を、生徒に見せられるような教師になっていきましょう。

仕事をして給料をもらっていればそれでいいと、安易に流れ、生徒たちの若さに内心嫉妬を感じているような教師が今はたくさんいます。そんな教師がいれば、生徒たちに、美しい大人としての生き方を教えられるはずがありません。

学校では学べない自分の生き方を、子供は漫画や流行歌から学びます。しかしそれでは、真に高い人生を学ぶことはできません。人間はこの世界でどうやって生きたらいいのか。それを真剣に考えることのできる教師が必要です。世間の常識を恐れてはならない。人間の真実の生は、過去になされてきたことの中にはありません。そこを土台にもっと上に伸びていく。それが真実の生なのです。

正直な自分を見つめ、何をなしていくことが自分の真実なのか、それを考えることのできる人間を育てるために、教師こそが真面目にそれを考え、行動する勇気を持っていなければなりません。




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図画工作

2015-08-17 05:48:38 | コカブの部屋

今日は図工の時間です。おっと、コカブです。

絵を描くことや、紙や粘土で不思議なものをつくるのは、楽しいですね。子供達もおもしろくやっていることでしょう。

まだ小さいうちは、絵具や筆の使い方や、粘土の扱い方、紙や木の切り方など、基本的なことと、作品作りの楽しさを教えてあげましょう。図工が好きな子は、おもしろい才能を見せてくれるでしょう。子供でないと描けない絵を見て、大人は時々感心してしまいます。

ですが、単に作品を作らせるだけではいけません。ある程度子供たちが大きくなってきたら、「美」というものの意味を教えてあげてください。美とは何か。それは神様が持っている幸せの姿なのです。ちょっと難しいですか? それは愛と幸福の灯りを人間の心に燃やす光なのです。もっと難しくなりましたね。でもなんとなくわかるでしょう

絵画表現と言うものは、人間の心に大きく影響します。人間は「美」というものを見つけるとどうしようもなく惹かれていくのです。なぜならそれは愛が着ている服ですから。美を見ると、愛してくれるものだと思って、ハチが花を目指して飛んで行くように、人は美によっていくのです。よい芸術作品はそれを見るだけで、人の勇気をかきたてたり、自らの愛がふくらんだり、悲しみを和らげてくれたりします。このような、「美」というものの本質、性質について、はっきりとした意味を子供たちが捕らえられるような授業を一度はやってください。

それと、「美」を、嘘のために利用したりすることは、だめだということを、きちんと教えてあげてください。美とは愛の姿です。その美が、嘘をついたら、愛が嘘をついたことになります。それは人の心を深く傷つけ、世界が成り立っていかなくなるほどの深い恐怖にも達する恐れがあるのです。

この世界には「表現の自由」を旗印に、醜いものを当然のように美しく描いている絵がたくさんありますから、美というものについての、正しい知識は、ぜひとも必要な教養です。授業できちんと教えてあげてください。

もう一度言いましょう。美とは本来愛の姿です。愛であるからこそ、美しいのです。それは時に形を超えて表現されることがあります。色々な芸術作品を見、いろいろなことを感じて、本当の美というものを、子供たちの感性に染み込ませてあげてください。




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感性の扉

2015-08-11 05:46:23 | コカブの部屋

コカブです。今日は理科、特に生物に関して語りましょう。

生物に限らず理科的知識は、地球霊的天然システムをいうものを知る上で、大切な土台となります。これらに関する知識や経験を、子供の頃から与えていくことは、大変重要なことです。

こどもたちは理科の授業の中で、植物や昆虫類、魚類や爬虫類、両生類や哺乳類、たくさんの生物とふれあい、知識経験を増やしていくことでしょう。

ですが、この地球上に生きている生物たちは、ただ生きているだけではありません。それぞれに、大切な使命をもって、地球上で生きているのです。その使命とは何か。その生をもって神の愛を表現することです。

たった一匹の虫にすら、美しい生命があり、そこに神の愛と言葉が結晶しているのです。だからこそ虫はあれほど美しいものになれるのです。それが地球霊的天然システムのひとつの姿です。

これからの理科の授業は、この、地球霊的天然システムとのかかわりを抜きにして、語ってはなりません。全ての生き物には命があり、神の心が宿っている美しいものなのです。生物の観察を通して、生命の運んでくる神の愛の読み方を教え、子供たちの心を感動に導き、生命世界の真実を感じることのできる感性の扉を開けてあげましょう。

どんな生き物にも、友達のように接していき、食べ物となってくれるものや害をなすもの、愛をもって人間のために命をささげてくれるもの以外は、決して殺してはならないと、教え込みなさい。解剖もいけません。それは地球の生命を道具のように扱うことだからです。

霊魂と肉体はあなたがたが思っている以上に、深い関係を持っています。そういう難しいことは、わたしたちがこれからあなたがたに教えていかねばならぬことです。あまりにも深い道なので、ここでみなを語ることはできません。

理科の授業は、子供たちを地球霊的天然システムの愛に気づかせるために、やっていきましょう。何もわからなくても大丈夫。どんな難しいことでも、それをしようと努力していけば、見えない天然システムが皆を助けてくれます。不思議な風が起こったり、教師が思いもしないことを言ったり、人間が誠実に努力をしていれば、実在の霊的存在が助けてくれるのです。それが愛の霊的天然システムです。

奇跡はほんの近くにあります。見えない教師の教えを感じられるように、感性を深めていきましょう。




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君子は博く文を学び

2015-08-06 04:44:52 | コカブの部屋

君子は博く文を学び、これを約するに礼を以てせば、また以てそむかざるべきか。

(論語・雍也)

立派な人と言うものは、広く教養を積み、これを礼の心によって整えていけば、滅多に間違うことなどないでしょう。


   *


コカブです。また勉強のことについて語りましょう。

歴史というものの中には、先人たちの人生が事細かく書かれています。歴史の勉強は非常に大事です。人間がこれまで何をしてきたのかを、如実に教えてくれます。西洋史、東洋史、日本史、学生時代の試験勉強を思い出して、ぞっとしますか? しかしこれらの教養を積むことは、人生の土台を非常に豊かにしてくれます。

かのじょは、高校生の頃、世界史と東洋史の本を読破しました。文庫本で10巻ほどありましたが、楽しくてあっという間に読んでしまった。そしてそれが後々、かなり役に立ちました。歴史を学ぶと、人類の癖というのがわかってきます。人間の欲望、失敗、実におもしろい。歴史を学ぶと、人間がいつもおなじところで失敗しているのがわかります。何度やっても同じことなのに、やはり人間は同じことをやって失敗しているのです。

どういうことで失敗しているかは、自分で読み取りなさい。わたしが教えてあげるよりも、自分で発見する方が、あなたがたにとってよいことになるでしょう。歴史の本を読みつつ、新しい時代の光をあててみて、歴史に残っている人間たちが何をしてきたのかについて、深く考えてみましょう。

人間は自分は賢いと思っていろんなことをやっていますが、本当は、自然界の愛が相当なことをしてくれているのです。たとえば、坂本竜馬は、現代ではヒーロー的な扱いをされていますが、彼の取った行動は、彼の本霊がやったのではなく、バックの霊界が彼にやらせたことなのです。がっかりしましたか? でもこれは本当なんですよ。あの時代の危機を乗り越えるために、霊界が彼を選んで行動にかりたてたのです。こんなことはたくさんあります。人間が自分の力だけで、時代の難を乗り越えられたことはありません。地球上のあらゆる存在が、人間を助け、育てていたのです。

だから人間は、これから何に対しても、偉そうな顔をすることはできません。地球上のあらゆる存在に感謝し、傲慢なことを改め、新たな自分として生き始めねばなりません。そしてそこを土台として、全く新しい、人類の歴史を創っていきましょう。

歴史を学ぶことは、新しい時代に進むための、自分の土台をつくることです。いろんな本を読んで、よく勉強してください。必ず役に立つでしょう。




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因数分解

2015-07-07 04:24:19 | コカブの部屋

コカブです。
さて、今日は算数について考えましょう。

前にも言った通り、教育には国語を優先し、算数はその次にしなさい。なぜならば、国語が人間の心を育てるものだとしたら、算数は人間の力を育てるものだからです。

国語が心とすれば、算数は頭脳に当たるでしょう。生きて行く上で、頭脳を鍛えるのは大切なことです。繰り返し計算練習などして、計算力を鍛えることは、子供たちの生きる力をおおいに伸ばしてくれるでしょう。アスリートが筋肉を鍛えるように、理論能力の土台となる力を作るのに、算数の勉強はとても大事です。

ですが、それを主としては、いけません。論語に知者は仁者を利するという言葉があるように、算数は国語を利するものでなければなりません。国語は子供たちに、心というものを教え、愛の庭への入り口に向かう道を教えてくれます。思いやり、やさしさというものを、美しい言葉で、心に吸い込ませ、人間の心を育てることができます。しかし、算数にはそれができません。どんなに算数や数学を極めても、人間の心を見極めることはできません。

だが、人間の心を正しい愛の道に導くため、時に迷う人間の心が、どこにいけばいいのかを考えるためには、算数の訓練がとても役に立ちます。二つに割ったアンパンのどちらが大きいかを理解するためには、計算能力が必要です。そしてその上で、みなのために一番幸せな道を選ぶということをするのは、算数によって鍛えられた能力ではなく、国語によって培われた自分の心です。

算数が苦手と言う人はたくさんいますが、そんなに気にすることはありません。三角関数などは、わからなくても、ある種の専門家以外は、生きることにそんなに支障はありません。中学生程度の計算力でも、立派に生きて行けます。とにかくそこまでは、できる限り、一生懸命に頑張りましょう。二次関数などはおもしろいですよ。これは国語に応用できます。素数というものや、10進法、12進法などの知識などもかなり楽しい。かのじょは円周率を、おもしろい物語の道具として使っていましたね。E=mc2が何なのかわからなくても、全然支障はない。愛=Iというものがなければどうなるかという意味で、彼は人間の大きな誤りを指摘する歌を作りました。

因数分解がきれいにできた時の快感と言うのも、すばらしい。数学と言う世界にもたっぷりとおもしろいことがあります。

興味を持った人、もっと極めたいと思った人は、数学の道に進みなさい。しかし、それを決めるのは、あなたの、心です。心の土台がしっかりしていなければ、数学もできません。

まずは国語、次が、数学です。これを大事な学びの基本の基本として、自分の土台に書いておきなさい。





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愛の卵

2015-06-30 04:43:25 | コカブの部屋

コカブです。今日も教育について語りましょう。

今の理数偏重の教育では、子供に人間の心というものを、教えることができません。もちろん理科や数学も大事で、それもおもしろいものですが、そればかり勉強していると、お金の計算ばかりしている馬鹿な大人に落ちてしまう恐れがあります。

人間の心を勉強するためには、国語を重視しなければなりません。それは言葉で心を表現することによって、人間の心の形を学ぶということなのです。良い詩や歌や小説を鑑賞し、感性を刺激し、自らも作品を創作する訓練を積んでいきましょう。そうしているうちに、人間の心というものがどういうものであるかが、だんだんとわかってきます。

道徳だけでは、人間の心を知ることはできません。それは社会のルールを教えるというだけのことだからです。思いやりと言う言葉一つでも、理屈で教えるだけでは、人を思いやる人間を育てることはできません。人の心を感じる感性を育てることが大事なのです。それにはまず、詩歌の鑑賞や創作などを通して、正直な自分の心を表現するという訓練を、子供の頃からさせていきましょう。

数学では、決して人間の心をつかむことはできません。数字の世界にもおもしろいことありますからね、計算力の高い人は理屈で人間の心をつかもうとする。だがE=mc2では、人間の心の姿を理解することはできません。愛を分析することも宇宙を理解することもできません。それは1を3で割ることのようなものです。永遠に同じことばかり繰り返す。

感性を育てるために、子供の頃から、詩歌の創作の訓練をさせなさい。言葉によって、自分の心に触り、人間の心の仕組みを考えていきましょう。作文もよいですが、俳句や短歌、詩などの方が心の勉強になります。美しい歌や詩を暗唱するだけでもよい刺激になります。子供の時だけでなく、大人になってからも続けましょう。心の勉強は、一生続けていくものです。子供の時に基礎をつかんでいれば、大人になってから味わう人生の試練の時などに、正しい心の選択をすることができるでしょう。

かのじょが言っていたことがありますね。人生の大事な選択をせねばならないときには、アンパンを二つに割って、大きな方を相手にあげなさいと。どちらが大きいかを理解するのに必要なのは数学ですが、大きい方を相手にあげるというのは、人間の心の感性が抱いている美しい愛の卵です。

たくさんの本を読み、たくさんの詩文を創作し、人を愛し、人に尽くしてゆくための、自分の心の訓練を積んでいきましょう。




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フェアリー・テイル

2015-06-09 06:34:19 | コカブの部屋
フェアリー・テイル



from Enya



コカブです。

かのじょは一時期、地域の女性たちといっしょに、絵本の読み聞かせのボランティアをやっていましたが、それはとてもよいことです。

子供たちに、美しい絵やかわいらしい絵を見せながら、よい言葉を愛のこもった美しい声で読み聞かせることは、子供たちの心にとってとてもよいことです。未熟な点はありますが、これからも色々と勉強しながら、発展していってほしい。

漫画やアニメやゲームなどは、あまりよくありません。なので、それらのものは、これから滅ぼされてゆきます。というより、だんだん滅びていってしまうのです。なぜというのに、それらを使って、人間が悪いことをしすぎてしまったので、法則的に、この世界に存在し続けることが難しくなってくるのです。

そこらへんは難しいのでここでは説明できませんが、あなたがたもいつか、つまらなくなって漫画やアニメを見なくなってしまうでしょう。それが法則なのです。

花には花の育て方があり、猫には猫の育て方がある。もちろん人間にも人間の育て方があります。人間の心の仕組みを勉強し、何が人間の心にとってよいものかということを深く学び、子供たちのために美しくよい本を、花に水や肥をやるように、読んであげてください。そんな小さなよいことを積み重ねていくことが、とても大切なのです。子供の頃に覚えたことが、その子の一生を左右することさえあるのです。

子供の魂と言うものは、すばらしいものです。とてもやわらかく、いろいろなことを、素直に受け取り、深く吸収し、心の庭を豊かにしてゆくことができる。この時期を、人間は大切にしなければなりません。なぜというに、魂の世界では学ぶことが難しいことでも、地球生命の子供時代に教え込めば、学びが上がるということが多くあるからです。

絵本は子供たちの心にいろいろな種を植えてくれます。美しい絵を描き、おもしろい物語を書き、愛のこもった絵本をつくり、それによって、正しいことを、やさしく教えてあげてください。






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過ちて改めざる

2015-05-31 07:12:37 | コカブの部屋
過ちて改めざる、これを過ちという。


コカブです。これは論語の言葉ですが、今回はイエスについて語りたいと思います。

イエスの愛の教えや、美しさなどについては、瑠璃の籠の詩や、ほかの天使の仕事にまかせ、この度は、あなたがたの、イエスへの謝罪について語ります。

あなたがたはイエスを、神のように持ち上げ、神話や儀式や芸術作品で美しく飾り立てていますが、それらは一切、あなたがたが彼にした仕打ちに対する謝罪にも、罪の返済にもなっていません。イエスを殺したことは、人間にとっての最大の罪なのです。いつかは必ず、あなたがたはその罪の借金を払わねばなりません。そしてかのじょも言っていたように、必ず、イエスへの謝罪の儀式を行わねばなりません。そのためにも、愛を深く学び、人間の美しさを育て、人間の魂の表現力を伸ばしてゆかねばなりません。イエスの痛みを深く思い、その悲しみを癒すために、何度でも謝らねばならないということがわかるようになるまで、痛いことを経験していかなくてはいけません。

だが、あなたがたはまだ若すぎる。愛もその表現力も、非常に未熟です。ですからわたしは、人間の若い頃の教育を重視し、表現力を身につけるための基礎的訓練をしなさいと強く訴えたいのです。

あなたがたは、女性に対する愛の表現さえ非常に未熟です。心を使うよりも、簡単な知恵で何とかうまくやろうとする。それはもう卒業しましょう。正直な心を美しく表現するために、基礎的な技術やルールを学び、教養を積み、自分の力を正しく育てていかねばなりません。

嘘ばかりついてはいけませんよ。嘘というものも、高い力を持っている者ならば、よいことのために力を発するものにすることができますが、まだ未熟なあなたがたは、嘘に自分をひきずられてしまいます。だから、あなたがたはまだ嘘はついてはなりません。

感じる心を育てていくために、子供の頃から言葉の練習を、やっていきましょう。愛を表現する美しい言葉を教え、その正しい使い方を子供たちに教えてあげなさい。そして実行する訓練をさせなさい。

道は遠い。だが基礎的訓練こそが大事なのです。小さくとも確かな一歩を踏みしめるつもりで、こつこつとやっていきましょう。そしていつか、イエスのために、美しい人間の愛を、表現してください。




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犀の角のようにただ独り歩め

2015-05-27 07:10:24 | コカブの部屋

犀が、たった一本の自分の角に従って歩いていくように、
このたったひとつしかない自分自身に従って、生きていきなさい。

コカブです。名乗りをあげて活動することを許していただいたので、また語ります。
このスッタニパータに出てくる言葉は、かのじょが、人生における最大の危機の時代に、自分の支えとしていた言葉です。かのじょはこの言葉に従って、自分自身を立て、見事に危機から立ち直り、自分で自分の人生を生き始めることができました。

わたし個人の意見ですが、仏典の中には、この言葉以外に、覚えておく必要のある言葉はありません。これひとことで、釈尊はすべてを語っています。
この言葉は、人生の最悪最低の闇にさえ届く光。この一言は、ぜひ、たくさんの人に覚えていて欲しい。必ず役に立つときがあります。

わたしは、若い人たちの教育に、強い危機感を覚えています。今の教育では、若い人たちに、本当に美しく正しい生き方とはどういうことなのかを、教えることができません。そのことについて、語りたいことがあるとき、わたしは出てくることにします。あまりでしゃばりはしません。何せ脳味噌は一つしかありませんから、分け合うのも大変なのです。

お若い人たちよ。宮崎駿や鳥山明よりも、孔子を読みなさい。仏典は冒頭の一言だけでかまいません。論語は非常に重要です。子供向けのわかりやすい本もたくさん出ていますが、かのじょの論語エッセイも秀逸ですよ。ぜひ読んでみてください。聖書は、神話のように読んだほうがいいでしょう。事実も書いてありますが、嘘が多く含まれています。イエスは無視できない存在ですが、一言ではとても語り尽くせない。またの機会にしましょう。

学校の勉強では、数学よりも国語を重視しなさい。言語能力は心を育てるのです。表現力は一生かけて鍛え上げていくもの。文章を書く練習には、できるだけ努力を傾けてください。それが必ず、生きる事に役に立ちます。

山や海や空に親しみ、感性を広げていきましょう。心を鏡に映し、正直な自分というものを勉強していきましょう。あなたがたは他人を見る目は非常に優れていますが、自分を見る目というのは盲に等しいのです。

若い頃に何をすればいいか、何を学ばねばならないのか。そういうことをテーマとして、これからしばらく、語ってみましょう。





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