ジャン・メッツァンジェ
キュビスムにはアルルカンを扱った絵が多い。それは形を切り刻むような表現の中で、微妙に人間存在の裏にある虚偽を表現できるからだろう。
道化というのは難しい存在だ。下賤でありながら、王宮にも住んでいる。王侯貴族がそれを欲しがるからだ。
慰めとなる笑いを。つかの間、何かを忘れさせてくれる、犬のような馬鹿らしい人間が欲しいのだ。
貴族の教養を刺激する冗談を言いつつ、自分を犬のように下げてみなを笑わせてくれる。冗談の中にすべてをひっくり返してしまいたい現実を背負っている、馬鹿な王侯には、道化が時に必要らしい。
彼らは時に、道化のほうが自分より正しいのではないかとさえ思えるのだ。王子と乞食の様に、ときには自分を道化とすり替えたいとさえ思うのだ。なぜか。
本当は自分の方が道化だからだ。
嘘とずるで本当の王侯から自分を盗んだ、道化というものが自分の正体だからだ。
まつりごとなどできない魂が、王の人生を盗んでいる。ぼんくらなことしかできないことを側近に見抜かれて、冷ややかな目で見られていることに気付いている。その苦しさが、道化を必要とするのだ。
あれが本当の自分なのだと。
王侯に似た冠をつけ、派手な衣装を着て、こっけいな失敗をして、冗談で人の笑いをそそることしかできない馬鹿が、本当の自分なのだと。
まちがいだった
あんなことをするのは
ええそう
馬鹿なことでも
大勢でやれば
正しいことになると思って
すべてやったのです
いやなやつを
いいやつにして
みんなでほめあげて
うまい汁を吸わせてやるから
金を出せと言って
仲間に入れた
こんな嘘を
簡単に見抜きそうな
骨のありそうなやつは
子供の時に
みんなでつぶした
馬鹿の世界をつくるのだ
馬鹿が偉い世界を
馬鹿が集まって
みんなでつくるのだ
そのために
馬鹿なことはみんなした
それが
たったひとつぶの
真実につまずいて
みんなだめになるのだ
あれやこれや
やったことがすべて
世間に流れていく
裏に隠していたものが
おもしろいようにどんどん出ていく
崩れそうなほど
恥ずかしい自分の姿を
世界中に見られている
代わってくれ
どうかこんなおれを
代わってくれ
真っ正直に生きてきたおまえと
おれを
取り換えてくれ
正直者が
よくなる世間が来るなんて
思いもしてなかったのだ
どうか
取り換えてくれ
細長い紙に天使を七人描いてみました。
天使タティエルの話に、天魚の講堂に講義を受けにいく天使たちの話がありますが、
それをイメージのもとにしています。
サイズの関係上スキャナにとりこめないので、少しぼけています。
自己存在はその幼期において
無知と弱さのゆえに
自分を嫌がり
他人になりたいと願い
あらゆる愚かな所業をして
自分を非常に醜くしてしまう時期がある
それが醜悪期である
この時期人は愛を忘れ
悪に迷い
あらゆる暴虐をなす
自己存在にとって最も重大な危機である
ヴィンデミアトリックス
無知と弱さのゆえに
自分を嫌がり
他人になりたいと願い
あらゆる愚かな所業をして
自分を非常に醜くしてしまう時期がある
それが醜悪期である
この時期人は愛を忘れ
悪に迷い
あらゆる暴虐をなす
自己存在にとって最も重大な危機である
ヴィンデミアトリックス
自分以外の
誰かになりたくて
知らない街を
さまよい歩いていました
人魚から
白い顔を盗み
こおろぎから
足を盗みました
恐ろしく
下手なことをして
ばかみたいなかたちになった
わたしを
隠すために
いろんなひとから
いろんなものを盗みました
きれいだと思うものを
たくさん自分にくっつけて
みっともないくらい
完璧に
自分をきれいにしたのです
そして
見知らぬ街の
洋装店に立っている
マネキンの両親から
生まれてきたのです
かたちだけの
なにもないひとたちから
わたしは
なんにもない
からっぽの人形になって
両親と一緒に
流行らない洋装店のウィンドーの中に
ずっと立っている
時々人が振り向いて
馬鹿みたいだと言う目で見ていく
こんなものは全部嘘なんだよと
だれかがわたしを指さして
子供に教えている
恥ずかしくて
でも
ウィンドーから逃げることができない
風の中で
店が倒れて
崩れてしまうまで
ずっと
このままでいなければならない
ほんのちょっとの屈辱にさえ
耐えられないでどうする
誰にも
人にいやなことを言われない
人間がいたとしたら
そいつはもっとも馬鹿なやつだ
何にもできないやつほど
馬鹿がほめるやつはいないのだ
アルデバラン
ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク
原題「芸術家の母」。
これは偽物の人間である。他人から姿を盗み、自分とは違う自分を作り、その中に入っているわけだが、実に苦しそうな顔をしている。
何もないからだ。夫にも、子供にも、恵まれない。いることはいるのだが、思うように自分を愛してはくれない。何もいいことをしてくれない。
友達もおそらくいない。なぜならばその人生は盗んで得た人生だからだ。人はこの人を見て、何か違和感を感じ、決して親しもうとしないのだ。
影のように自分が薄っぺらなものになっていくのに、何をすることもできない。冷たい虚無感にむしばまれていく人生に、じっくりと浸かり込んでいくだけだ。
それはこの人が、何もしないからだ。だれも愛そうとしないからだ。だから何もないのである。
すべてを人からの盗みで得た。姿かたちも、よい人生も、環境も、ほどほどに豊かな暮らしも。だが何もないのだ。得たものはどんどん風にかすめとられるようになくなっていく。だが何もしようとしない。
恨むという感情さえまだ幼い魂は、虚無にたたまれていくばかりなのである。
全ての存在を認める愛。
今その愛の名前を、仮に、ウェリタスと呼びたまえ。ラテン語で真実という意味だ。ヤハウェでもアラーでもいけない。その名は暴虐をしたことがある。だが名は必要だ。君たちがそれにもっといい名前をつけられるまで、それをウェリタスとよぶがよい。
アンタレス