くるしみもかなしみも
ふるい衣のように
さらりと脱げるものだとは
ついぞ知らぬことでした
重い器を
おのれをまもろうとして
頑なにかぶっていたものが
それが苦しみであったとは
脱いでみてはじめて
わかったことでした
空はひろくかろく
いちまいの大きな
りんごの香りでできていました
青々と澄んだ甘やかな香りの
風の上をころがりながら
せかいの指はこうもやわらかく
ここちよいものだったのかと
さあ
わたしはもうゆかねばならない
つねに新しいあの故郷へと
ゆっくりと閉じてゆく
空のほほえみの中に
みるくのようにとけてゆく
ただひとすじのその光を
追いかけてゆかねばならない
青いりんごの奥にかくした
かすかに痛む追憶のあえぎを
ひそやかな約束の
形見にして
(花詩集・38、2006年7月)