さて、大晦日です。今年もいろいろなことがありましたね。皆さんにはどのような年でしたか。
わたしは、定期的にここに戻ってきますが、ほとんどはほかのところで、ある活動をしています。詳しく言うことはできませんが、その活動のせいで、かのじょを馬鹿にしていた人たちがどういうことになったのかを、かなり知っています。
悲しいということもできないほど、愚かなことになっている。馬鹿というものは、何もわかっていない。わかっていないのに、なんでもわかっていると思って、あらゆることをしてしまう。調子にのってやったことが、返って来た時に、いつも呆然として、何をすることもできずに、法則の渦に飲まれてしまう。
そこを乗り越える一番いい方法は、自分の過ちを認めて神に謝り、心を改めてやり直すことなのだが、馬鹿はそれだけは絶対に嫌だというのです。
嘘で守っている自分が、痛すぎるのです。本当のことがばれるのが、一番つらいのです。そんなことなど、馬鹿になってやめてしまえば、なんでもないことなのだが、なかなか浸っている闇の世界から出てこようとしない。
あなたがたは、女性とセックスをすることが、本気で守らねばならない牙城だと考えているが、それも、人間として進化してしまえば、あまり重要ではないことになるのですよ。セックスは大事なことだが、それをやらなくても別に苦しくはないというものになってくるのです。本当ですよ。
セックスが最重要なことになってしまうのは、人間の自分があまりに苦しいことになっているからなのです。男性は、自分がたまらなく嫌だから、女性の美人が神のように美しく見えて、激しくそればかり追いかけてしまうのです。
今年は申の年でした。象徴的ですね。来年は酉だ。猿のように、動物的な欲を乗り越えて、鳥のように真実の世界に飛んでいくのだと、読むこともできる。
馬鹿は、人間の可能性がずっと広く深いことを知りません。今自分ができないことをするのがいやで、過去の世界にばかり閉じこもっている。そこから出ようとしない。彼らのすることはみな、新しく見えるようで、過去にあったものの焼き直しばかり。
本当に新しいものは何もない。
新しい年が明日やってきますが、来年こそは、新しいものがきっかりと世界に灯る年になってほしいものです。