くるしいことが おまえにあるだろう
それは ながくつづくことだろう
おまえは ほんとうに つらいだろう
けれども その日々にも
ときどき よいことがあるだろう
おまえはそれに とてもきれいな幸せを
感じるだろう
おまえは そんなちいさなよろこびを
たいせつにしながら
ながい日々を のりこえていくだろう
そしていつか おまえは
ほんとうの幸せ そのものになるだろう
あいしてるよ
(青城澄「ベニシジミ」)
海ならずたたへる水の底までに清き心は月ぞ照らさむ
(菅原道真)
海よりももっと深い水の底の底に落とされようとも、わたしの清く正しい心は、美しいあの月の光が照らしてくれるであろう。
*
あるとき、夕空に月がかかっていて、その下を、まっすぐな飛行機雲がかかっていたことがあったのです。わたしはそのとき、心にはっと感じるものがあったのです。そしてなんだかとても、うれしくて、胸が温かくなったのです。それが、神様の言葉だったからです。
神様は、わたしにこう呼びかけてくれたのです。「月のようにかげでまじめに働く、まっすぐなものよ」。
(青城澄「神さまとの話し方」)
今日は図工の時間です。おっと、コカブです。
絵を描くことや、紙や粘土で不思議なものをつくるのは、楽しいですね。子供達もおもしろくやっていることでしょう。
まだ小さいうちは、絵具や筆の使い方や、粘土の扱い方、紙や木の切り方など、基本的なことと、作品作りの楽しさを教えてあげましょう。図工が好きな子は、おもしろい才能を見せてくれるでしょう。子供でないと描けない絵を見て、大人は時々感心してしまいます。
ですが、単に作品を作らせるだけではいけません。ある程度子供たちが大きくなってきたら、「美」というものの意味を教えてあげてください。美とは何か。それは神様が持っている幸せの姿なのです。ちょっと難しいですか? それは愛と幸福の灯りを人間の心に燃やす光なのです。もっと難しくなりましたね。でもなんとなくわかるでしょう
絵画表現と言うものは、人間の心に大きく影響します。人間は「美」というものを見つけるとどうしようもなく惹かれていくのです。なぜならそれは愛が着ている服ですから。美を見ると、愛してくれるものだと思って、ハチが花を目指して飛んで行くように、人は美によっていくのです。よい芸術作品はそれを見るだけで、人の勇気をかきたてたり、自らの愛がふくらんだり、悲しみを和らげてくれたりします。このような、「美」というものの本質、性質について、はっきりとした意味を子供たちが捕らえられるような授業を一度はやってください。
それと、「美」を、嘘のために利用したりすることは、だめだということを、きちんと教えてあげてください。美とは愛の姿です。その美が、嘘をついたら、愛が嘘をついたことになります。それは人の心を深く傷つけ、世界が成り立っていかなくなるほどの深い恐怖にも達する恐れがあるのです。
この世界には「表現の自由」を旗印に、醜いものを当然のように美しく描いている絵がたくさんありますから、美というものについての、正しい知識は、ぜひとも必要な教養です。授業できちんと教えてあげてください。
もう一度言いましょう。美とは本来愛の姿です。愛であるからこそ、美しいのです。それは時に形を超えて表現されることがあります。色々な芸術作品を見、いろいろなことを感じて、本当の美というものを、子供たちの感性に染み込ませてあげてください。
青いお空の底深く、
海の小石のそのように、
夜が来るまで沈んでる、
昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
(金子みすず)
美しい緑ですね。これもご近所の空き地に生えていたエノコログサです。清らかな愛を感じます。
緑の中にあって、目立たないように見えますが、何かきらりとした存在感に、はっと気づいて、寄っていってしまう。彼らが野の隅にあって何をしているかが、わかるような気がします。
花はただ咲いているだけではない。生きることの中で、みなのために美しい活動をしているのです。それだからこそ彼らは美しい。エノコログサも、その美をもって、ある種の苦い薬を風にまいているのです。もちろんこれは隠喩。そのまま受け取ってはいけませんよ。
あんまり秘密をばらしてしまうと、花の活動を邪魔してしまうおそれがあるので、詳しいことは言えません。けれども彼らは、人間のために、とてもいいことをしてくれているのです。人間ももう、地球霊的天然システムに心ひらいていかねばなりませんから、自分から花に近寄っていって、花に教えてもらいましょう。もちろん、賢者に出会った時のように、礼儀を正しくして、聞いてみましょう。あなたの心が正しければ、植物たちは大事なことを教えてくれるでしょう。
心に暗い影がはり付いているとき、エノコログサに出会うと、なんとなくほっとしませんか。植物は嘘をつきませんし裏切ることもありませんから、素直に心を許すことができる。その中で心の暗い影も消えてゆくような気がする。道端の何げない草花との出会いにも、重大な意味があります。
人間の生をよくするために、植物がどんなことをしてくれているのか、勉強していきましょう。もうあなたがたは、今までと同じではいられない。
新しい段階の勉強をするための、準備をせねばならないのです。
その頃私は厳しい試練の中にいて、孤独の底でだれにも言えない苦しみをひたすらかみしめる毎日でした。大人になれば、だれでもそういう悲哀は抱いているもので。自分が心と顔の二層に分かれ、顔はいつも笑っていながら、胸の底には鉛のようなうつろがうずいていて、墨のような闇が孤独の輪郭ばかりを濃く深めてゆく。
(2006年4月、花詩集35号)