今月はこれまでの私と様子が違います。
アシュタンガヨガでお休みと定められている日(毎週土曜日。満月と新月の日。生理日)以外、毎日毎日シャラ(=道場)か自宅で90分の練習を実践していることに気がつきました。
「やっと…。」
そんな言葉が自然にこぼれてきます。
正直に打ち明けますと、私は友人や生徒さんに「20分でも30分でもいいから、ヨガはとにかく毎日続けることが大事だよ。」とそれらしいことをぬかしておりましたが、実際のところ、その言葉は、そっくりそのまま自分自身に向けて発しているものでもありました。
そう、何かにつけて「自分のための練習」を休むことがたびたび。
そして、そんな時は「ストイックにやって挫折するくらいだったら、ちょっと休んでまた続けるほうがいいよね。」と自分にOKを出したものです。
ところが、最近になってその言葉にだんだんと違和感を覚えるようになってきたのです。
アシュタンガヨガに出会ってから、かれこれ3年以上が経過。
運動嫌いの私にとっては確かに、運動量の多いアシュタンガヨガを続けること自体が当初は大変なチャレンジでした。
なので「無理をしないでとにかく続ける」というのはその時点では適切な目標であり、それをクリアしてここまで来たことは我ながら「がんばったな」と評価しています。
ただ、どうやら、「続ける続けない云々」のステージはもうとっくに卒業なんだってことを自覚した方が良さそうな感じになってきました。
都合が良かったんだと思います、「とにかく続けている自分」に重点を置き続けることが。かつての目標を、そのままもっともらしい言い訳として通用させられるので。
実は、デヴィッド先生のワークショップでの感動が冷めぬうちにイスラエルに戻り、レッスン再開を意気込んでいたところ、週4回のレッスンがことごとくキャンセルになるという事態に見舞われます。
生徒さんたちの多忙や体の不調がその理由ではありますが、2週間、3週間とそれが続く中でだんだんと焦燥感が募っていきました。
いつものパターンならそのまま自己否定にシフトしてしばらく塞ぎ込むところですが、(暗いな、私。)不思議と感情に飲み込まれない自分がいる。
「あら、なんかちょっと強くなったかも。」
ここで私はかつて叩き込まれた物事の捉え方を引っ張りだしてみました。
「その状況を作り出しているのが自分だとしたら。」という想定。
そうしたらすぐに「修行が足りてない」という結論に。
なんだかもう、まるで少年漫画みたいな答えですが、それを受け入れることによって、あれほど構えていた90分の練習にもすんなりと入っていけるようになりました。
90分という時間にこだわり過ぎてマットの上に立つことすら躊躇っていたのが嘘のよう。
このまま日課としてしっかり定着していけば、ここからが本当の意味でのスタート地点になるな。
なーんてことを書こうと思いながら今朝練習をしていたら、チャクラアーサナ(=仰向けからの後転)で着地に失敗し首を痛めてしまいました。
ま、こんなもんです、人間なんて。
さて、これをサボる言い訳にするかしないか、明日の私に乞うご期待。
ナマステ&シャローム
Nozomi
お久しぶりです!
タイでデヴィッド先生と再会してたんですね~☆
nozomiさん少し痩せましたか?
日常の時間の使い方がなかなか思い通りにいかず、練習の時間が減っていましたが、動かないとやっぱり身体が何か居心地わるく、、、
状況を作り出しているのは確かに自分な気がしますので、nozomiさんにならい、気持ち新たに動きます!
そうなんですよ~、デヴィッド先生にお会いしてきました!
二日間、あの感じでたっぷり笑わせてくださいましたよ。
う~ん、rieさんでも思うように練習ができなくなることがあるんですね。
毎日欠かさず練習されているイメージを勝手に抱いておりました。
私の場合は、練習が足りてないと体の方が「おーい!練習してくれよ~」
って訴えてくるような感じがします。
体は私たちの意識以上にヨガの効能を理解しているということでしょうかね。
のびのびと存分に練習ができる時間がつくり出されるといいですね。
体は意識よりきっと正直で素直で真実なのかもしれません。
「足りてない」っていう言葉。
実は私も感覚的によく、ふっと出てくる言葉なのです。
だから同じ表現をnozomiさんがしていて驚いたところでした。
のびのびと。
この言葉もそう。
最近は以前に比べてこういう「言葉」の力に後押しされることが増えた気がしています。
忘れかけては思い出し、、みたいな。
nozomiさんの選ぶ言葉は実に丁寧でのびやかですね。
いつもとても励まされているんですよ。
どうもありがとう。
不特定の方が読まれるこのブログでは とりわけ言葉選びに慎重さを心がけています。
拙い文章ですが、その中で選ばれた言葉たちがrieさんの励みになることがあるというのはとても光栄なことです。
こちらこそ、読んでいただき本当にありがとうございます。