昨日、娘が11歳の誕生日を迎えた。
思えば11年前のこの日、私たち母娘は二人して命の危機を乗り越えたのだった。
妊娠32週目、胎児は1500グラム前後だと推定される中での手術。こともあろうか、私が妊娠中に虫垂炎を患ってしまったからだった。
虫垂炎発症からかくかくしかじかを経る間、手術は2回にわたって行われ、生まれた赤ん坊はNICU(新生児専用の集中治療室)へ、私も同じく集中治療室へ。
翌日、麻酔が切れて目を覚ますと両親と妹が今にも泣き出しそうな顔で私の顔を覗き込んでいる。九州に住んでいるはずの家族は、真夜中に今日が峠だと告げられて朝一番の便でやってきたのだった。
後から聞いた話では、手術の最中に心肺が停止してしまい、数分間にわたって心臓マッサージで蘇生措置を施されたのだそう。
何人かに尋ねられたことがあるが、あの世の一歩手前まで行っていた記憶や感覚はまったくない。ただ、2回目の手術へ向かう時に「私、このまま死んじゃうかもな」という予感だけは確かにあった。
集中治療室にはかれこれ1週間か10日ほどいたと思う。私がいたのは6畳ほどの薄暗い個室だった。
体のあちこちに管を繋がれて、それが部屋中の機械で管理されている。体を動かすことも飲食もできず、面会もままならならず、夜は不安と恐怖で眠れない。生きた心地はしなかった。ただ、そんな中にあって、生まれた娘が小さいながらも元気にがんばっていることや、長男が前よりも言葉を覚えてきたことなどを伝え聞いて、陽のあるうちは安堵して眠っていた。
結局、娘との初対面は産後半月ほど経ってから。
保育器の中で、彼女も私と同じように管で繋がれていた。1664グラムで生まれた彼女はあまりに小さい。通常の新生児が腕にすっぽりと収まるサイズだとしたら、初めて抱いた娘は男性の両手の平ならほぼ収まりそうなくらいの大きさで、未熟児用のオムツさえぶかぶかだった。
看護士さんに手伝ってもらいながら、本来ならまだお腹にいるはずの赤ん坊を胸にそっと乗せるように抱いた。その時のキュッと胸を締め付けられる感じは今でもはっきりと覚えている。小さく生んでしまったことや今日まで会いに来れなかったことを詫びる気持ちがそうさせたのだと思う。
体が小さいがために退院してからもちょっとしたケアが必要だったが、新生児サイズに追いついてからは取り立てて手がかかることはなかった。というよりはむしろ、長男もまだまだ手のかかる2歳児だったので、娘に対して必要以上に手をかけることができなかったというのが正しいかもしれない。
とにかく彼女は未熟児であったことなど感じさせない健やかさで育ってくれた。喘息持ちの長男よりも体は丈夫だったのだが、一度だけネフローゼ症候群という病気にかかって数週間の入院生活を余儀なくされてしまう。その入院生活でも管に繋がれたり食事制限があったりしたが、5歳とは思えない我慢強さと自立心を見せていた。退院後もしばらく投薬が続いていたけど、大人にでさえ苦い粉薬を文句も言わずに毎日きっちり飲んでいた。再発が懸念される病気だが、今のところはいたって元気そのものなのでほっとしている。
優柔不断で引っ込み思案な子供時代を送っていた私からすれば、娘は羨ましいくらい快活で華がある。どうやら「ママはライバル」と思っているフシがあり、そこはちょっぴり小憎らしくもあり、同時にまた良き刺激にもなっている。
昨日の目覚めはご機嫌で、学校に出かけて行くまでの間ずっと「プリティウーマン」を歌っていたのが何とも微笑ましかった。
Happy Birthday,
Nozomi
娘さんとのぞみさんにそんなお話があったなんて知りませんでした。
お二人が無事で本当によかった。。。
私のアメリカ人の友人が地元の病院のNICUで婦長をやっていて、以前見学させてもらったことがあるんです。
たくさんの赤ちゃん達が保育器の中で頑張っている姿を見て涙が出たのを思い出しました。
その当時のことを想うと毎年の誕生日は感慨深いものがありますね。
これからもすくすくと、ステキなレディーに成長していくことを願っています。
小さな小さな命の営みを見ると胸に込み上げるものがありますよね。
一度失いかけた命がまた戻されてきた意味を考えているうちに、まわりまわってヨガに辿り着いたのでした。
ずいぶん遠回りでしたけれど(笑)
小さなレディーに負けないように私も気を抜かずにがんばります。
同じく出産を経験して、同じく二歳差乳幼児の育児まっただなかのわたしは、先日の長男くんのバルミツバもそうだし、娘ちゃんもそうだし、ここまで育て上げたnozomiをただひたすら尊敬してしまうよ。
育て上げたという実感はまだまだなくて、早くも反抗期に突入しつつある二人に泣かされたりしてる。
そのたびに母親としての未熟さを痛感してね。先はまだ長そうよ。
成長は早いね。
親になって感じることってたくさんある。
それをうまく自分の中の子供性(?)とかみ合わせながら父親してます。
母であることを誇れるね。
わが子を通してかつての自分を振り返ると同時にまた、わが身を通して亡き母の子育てに対する想いをなぞってみたりしています。
タイムマシンはないけれど、ね。