Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

イスラエル在住15周年

2023-08-07 16:32:00 | 日記
イスラエルに移り住んでから15年の月日が経った。
あっという間のような、長かったような、混ぜこぜの気分。

ことわざで「石の上にも三年」と言うが、私にとっては3年ぽっちじゃ到底馴染めない手強い国だった。
そもそも移住の前年に母を亡くしたばかりで、すっかり憔悴している父を残して離れることの後ろめたさがあったのはもちろん、私自身もまだ母との永遠の別れに気持ちが追いついていなかった。
体はこの国にいても、心は遠く日本に置き去りという状態で、新たな日常に目まぐるしく追い立てられ、完全に自分を失っていた。

沼のようなホームシック。人の優しさに反応できないほどの喪失感。
いよいよ深刻になったとみえて、移住2年目には現地で心理カウンセリングを受けさせらることになった。

しかし、ヘブライ語でのやりとりは、思うように内なる気持ちを吐露できず、初めの頃は通う度にフラストレーションが溜まった。
それでもどうして通い遂げたのかというと、やるだけやって日本に帰りたいと言えば、周囲も納得せざるを得ないだろうという打算があったから。

それなのに、どういうわけか今日までこの国で暮らし続けてきた。
私の決断力や行動力の欠落もあるし、それ以上に「もうちょっとがんばってみよう」と思える出会いに恵まれたことがある。
特にヨガを通じて出会ったご縁には大きな力をもらっていて、中でもイスラエルでたくましく且つ楽しく暮らしている日本人の仲間には頭が上がらない。
イスラエルの良いところもそうでない点も経験して、深刻な話もくだらない話も心置きなくできる同士であり同志。
心の底からありがとう。



ところで、15周年を意識したわけではないけれど、最近「捨て活」に勤しんでいる。
かれこれ2週間、毎日何かしら処分している。

何というか、心の中で大きな踏ん切りがついたのだろう。日本から持ってきた荷物もようやく手放す決心がついた。
所有し続けることで日本を近くに感じていられる気がしたのだった。
あの時の思い出、あの場所の記念、あの頃の自分。

けれども結局それは「日本で暮らしていた日々=過去」にしがみついているに過ぎなかったのでは?ということに思い至った。
戻らない過去をずっと身の回りに置き続けていたら、前にはなかなか進めないものだと齢五十にして気がついたのである。

今からでも遅くはない。
いやむしろ、人生の折り返し地点はとうに通り過ぎているのだから、この先にある終活も見据えて整理整頓しておくのは必要だろう。

ぎゅうぎゅうに詰まっていた引き出しやクローゼットにゆとりができて気持ちがいい。
何なら、すっかり忘れていたへそくりなども出てきたりして、得した気分も味わえている。


心地よい環境を整えれば、同時に身軽になるので、これからはもっと自由自在に生きていきたいなぁと新たな目標も描き始めている50歳の夏。








Nozomi



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