ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

新聞の「説明責任」を問う

2010-02-08 12:59:22 | ときのまにまに
小沢幹事長が不起訴になり、メディア、元検察、評論家、自民党政治家等々がかなり無責任な発言を続け、一般庶民としては何が何だか分からなくなりつつあります。この問題について、江川紹子さんが実に巧くまとめ、問題点を鋭く指摘していますので紹介しておきます。
<以下引用>
新聞の「説明責任」を問う ( http://www.egawashoko.com/c006/000316.html )
2010年02月07日
民主党の小沢幹事長は不起訴となった。石川知祐衆議院議員ら、小沢氏の元・現秘書ら3人は政治資金規正法で起訴された。その起訴の内容を見ても、「大山鳴動して……」という印象はぬぐえない。政治に多大な影響を与えて捜査を強行しながら、この結果。当然、検察に対して厳しい批判の声が上がっても然るべきだろうが、メディアのうえではそうでもない。新聞各紙は、<ある幹部は「心証は真っ黒だが、これが司法の限界」と振り返った>(毎日)、<特捜部は「有罪を得られる十分な証拠はそろった」として検察首脳との最終協議に臨んだが、結論は「十二分の証拠が必要」だった>(産経)、<資金の流れ、依然謎>(読売)など、小沢氏が限りなく黒に近い灰色だと印象づける論調が目立った。そして、<捜査は、小沢氏側に巨額の不透明なカネの出入りがあることを国民に知らせた。その価値は正当に評価されるべき>(朝日)と、今回の大々的な捜査を評価し、検察をねぎらった。そればかりか、
<ほくそえむのはまだ早い><”次の舞台”は「検審」>(産経)と、検察審査会で処分がひっくり返されて小沢氏が裁かれることを期待したり、検察が捜査を続けて小沢氏失脚につながる法令違反を見つけ出すことに望みを託すような記事もあった。
前回も書いたように、メディア、わけても新聞はこの間、ずっと検察と同じ方向を向いてきた。それを考えれば、不起訴とはいえ、検察擁護の論調となるのも自然のなりゆき、と言えるかもしれない。新聞によって、この問題に取り組む動機には差異があっただろう。あからさまに民主党政権の失墜を意図した政治的な動機が読み取れる新聞もあったし、小沢氏を排除することが正義と信じ、その使命感に燃えているかのように見える新聞もあった。そういう動機の違いはあっても、いずれもが検察の正義を信じ、小沢氏の失脚をゴールとする”クビ取りゲーム”に狂奔していたことには変わりはない。政治的な権力者とされる小沢氏の問題点を探して暴こうというのはいい。読売の溝口烈社会部長が<政界最高実力者の周辺で発覚した資金疑惑への国民の関心は高く、これに応える報道は高度の公共性・公益性を有する>と書いているのは、まさにその通りだ。だが、検察も国会議員を逮捕したり失脚させるほどの強い権力を持つ機関だ。その捜査のあり方にも監視の目を光らせる必要があるはず。そういうバランス感覚が、”クビ取りゲーム”に熱中する中で吹き飛んでしまった。
<以上引用>
以下は江川さん自身のブログをぜひお読みください。
検察への批判は結構出て来ているが、江川さんが問題にしている最大のポイントはメディアの「説明責任」である。
 びっくりしたことがある。江川さんは言う。「記者たちは情報源である『関係者』に騙されて、間違ったネタをつかまされたのか。それとも記者たちが、『小沢のクビを取りたい』と思うがあまり、情報の真偽を判断する目が曇っていたり、独自の解釈を加えてしまったのか。あるいは、小沢氏がカルト以上に強烈なマインド・コントロールを秘書たちにかけていて、逮捕された3人は捜査を混乱させるためにわざと供述を二転三転させ、マスコミをも翻弄した、というのか。そうしたところは、ぜひとも聞いてみたい」。わたしもその点をぜひ聞いてみたい。
先ほど読んだツイッターで上杉さんは次のようにつぶやいています。「お待たせしました、戦闘開始です。明日発売の週刊朝日「東京地検の『抗議』に抗議する」をご覧ください。朝から香ばしい人々とジャレてみるほどの自信作です(笑)」。久し振りに週刊誌の発行が待ち遠しい。因みに、今週の『週間朝日』も買って読みました。

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