ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 1/1~1/7

2012-01-12 14:46:35 | ローズンゲン
今日のローズンゲン 1月1日(日):
主を畏れることは宝である。(イザヤ33:6)
エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。(ルカ2:25,28-30)
私の黙想:
元旦に最も相応しい聖句。感謝!
そうだ。その通りだ。主を畏れることは「宝」なのだ。これこそ、両親から受け取った遺産であり、子孫に残せるほとんど唯一の財産である。今年もこの「宝」を大事にして過ごし、少しでも増やせるように生きよう。

今日のローズンゲン 1月2日(月):
あなたは主を避けどころとした。(詩91:9) 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(1ペトロ5:7)
私の黙想:
聖書では「戦う」よりも「逃げる」「避ける」という方が多いように思う。もちろん「逃げるが勝ち」という作戦もあり得るが、ここでの「逃げる」は作戦というよりも「生き方」のように思われる。つまり「敵」は人間にとってあまりにも強すぎるのであろう。

今日のローズンゲン 1月3日(火):
白髪の人の前では起立し、長老を尊びなさい。(レビ19:32)
老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。(1テモテ5:1-2)
私の黙想:
人類の歴史は不思議な発展仕方をする。古い世代と新しい世代とがお互いに尊敬し合いながら発展する。「デジタル・ネイティヴ」という世代が育ちつつある。彼らはデジタル機器に囲まれた環境の中で育ち、まるで母国語のようにそれらを操ることが出来る。老人は彼らをマジシャンを見るように驚きの目で見る。彼らはこれらの「文化」を産みだした世代に対して「起立し、敬意を表する」。人類の歴史はこのようにして発展する。

今日のローズンゲン 1月4日(水):
あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。(レビ19:11)
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。(1コリント13:6)
私の黙想:
「嘘の世界」が現実にある。現実には存在しないのに、あたかも現実であるかのような世界である。「ヴァーチャルリアリティ」と呼ぶ。その世界にどっぷり浸かっていると心地良いらしい。そりゃ、そうだろう。そこでは自分が王であり支配者だから。自分にとっての真実だけが真実な世界だから。しかし真実の世界は生身を持った人間同士の煩わしい交わりであり、そこでは自分の真実と相手の真実とがぶっつかる世界である。

今日のローズンゲン 1月5日(木):
夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え。(コヘレト5:6)
主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。(黙示録15:4)
私の黙想:
そうか、「夢や空想」つまり現実離れしていることが多いと無駄話が多くなるのか。確かにそうだ。「現実的なこと」は口にしにくい。うっかり口に出すと、必ず反論があり、異論が出てくる。そのこと自体はいいが、それによって人間関係が崩れてしまうことは悲しい。

今日のローズンゲン 1月6日(金):
わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻みます。(詩40:9)
キリストの言葉:あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。(ヨハネ14:15)
私の黙想:
人間とはややこしい存在だ。存在するというだけで満足できない。産まれてきたということを意識した瞬間から意味を問う。言い換えると、有意義な死を考えている。それなのに「産まれていない自己」について考えることが出来ない。(思考中止、アポケー)

今日のローズンゲン 1月7日(土): 床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。(詩63:7)
神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。(ルカ18:7)
私の黙想:
非常に個人的な気持ちであるが、私にはこういう信仰的な姿勢は嫌いである。「夜も昼も」とか「絶えず」とか「常に」などという神との関係は息詰まる。もっと自由であっていいのではないか。ただ、後からよーく考えてみると「ズーッとインマヌエルだった」と思う。それでいいのではないか。

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