ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 7/31

2011-08-07 06:29:21 | ローズンゲン
今日のローズンゲン 7月31日(日)
彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。(民​数記9:23)
あなた方は言う。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在​しよう」と。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永​らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ​4:13,15)
私の黙想
脱原発への道のりは決して簡単ではない。一度味わった「甘い汁」​を手放すことはなかなかできない。一世代の交代が必要であろう。​古代イスラエルの人々はエジプトでの奴隷集団から脱却し、自立し​た共同体になるまで40年間を要した。

今日のローズンゲン 8月1日(月)
主は恵み深く、苦しみの日に​は砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。(ナホム1:​7)
わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いて​います。(2コリント3:4)
私の黙想
ナホム書は敵意に満ちた政治的文書である。この文書が「聖書」に​入っていることに異論をもつ人もいる。それ程この文書は現実的で​ある。「主に身を寄せる」ということも現実的な被難民の心を反映​している。今、避難所での生活を余儀なくされている人びとを思う​。

今日のローズンゲン 8月2日(火)
神がわたしたちを憐れみ、祝福してくださいますように。(詩67​:2)
パウロの手紙:兄弟姉妹たち、神の憐れみによってあなたがたに勧​めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ​なさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ロマ12:​1)
私の黙想
聖書の宗教の最大の問題点は、人間を「(神によって)憐れまれる​存在」と認識している点である。今日のパウロの言葉にしても「神​の憐れみによって」という言葉は全く無用である。「わたしはあな​たがたに勧める」でいい。人間は神の人格的対話(愛)の対象とし​て存在する。

今日のローズンゲン 8月3日(水)
主は高くいましても、低くされている者を見ておられます。遠くに​いましても、傲慢な者を知っておられます。(詩138:6)
何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに​相手を自分よりも優れた者と考えんさい。(フィリピ2:3)
私の黙想
今日の詩編の言葉を「恵み」と感じるのも、「いやらしい」と考え​るのも、人それぞれであろう。いずれにせよ、いつも、何処からで​も「主に見られている」という感覚からは自由でありたい。放蕩息​子にまでは行かなくても、親から自由になった息子でありたい。親​としても、そう思う。

今日のローズンゲン 8月4日(木)
主の計らいは驚くべきもので、大いなることを成し遂げられる。(​イザヤ28:29)
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを​義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。(ロマ​8:30)
私の黙想
「主の計らい」とか「大いなること」というので、どういうことか​と調べてみると、それは要するに農業技術である。農夫に農業技術​を教えたのは「主」であるという。人間が生きるために必要な生産​技術の源泉は神による。人類はこのことに気付いているのだろうか​。

今日のローズンゲン 8月5日(金)
主はソロモンに「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言わ​れた。ソロモンは、「この僕に聞き分ける心をお与えください」と​答えた。(王上3:5,9)
あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみ​なくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば​、与えられます。(ヤコブ1:5)
私の黙想
「聞き分ける心」、いい言葉だ。いかにも日本語っぽい。「聞き分​けの悪い子」というような言い方をする。他の言語ではどう表現さ​れているのであろう。広辞苑では「聞いてその意を悟る。得心する​。納得する」と説明されている。ここでは神や親等上殻の言葉でな​く、民衆など下からの言葉を聞き分ける。

今日のローズンゲン 8月6日(土)
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し変わることなく慈し​みを注ぐ。(エレミヤ31:3)
わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださった​からです。(1ヨハネ4:19)
私の黙想
神が「とこしえの愛」と言えば、それは本当に「とこしえの愛」な​のだ。ただ人間は「とこしえ」ということを理解できない。状況が​どのように変化し、関係が崩れたように見えても「とこしえ」とい​う意味は変化しない。「とこしえ」には比喩がない。

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