ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 6/27

2010-07-04 05:34:07 | ローズンゲン
6月27日(日)
わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった。(イザヤ64:5)
御子は罪の清めをなしとげられた。(ヘブル1:3)
私の黙想
今朝は大阪のホテルにて。今日は神戸の聖ミカエル教会の礼拝に参加する予定。

6月28日(月)
夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。(エレミヤ23:28)
今わたしは人に取り入ろうとしているのか。それとも、神に取り入ろうとしているのか。今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。(ガラテヤ1:10)
私の黙想
ここで言う「夢を見た」という預言者は偽預言者である。「夢を見た預言者」の言葉はいかにも「本当らしく見える」。
6月29日(火)
主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。(詩編130:3)
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。(エフェソ1:7)
私の黙想
「上に立つ者」が賢すぎると困る。一寸、時々「抜けている」方が助かる。しかし、本当の馬鹿は「本当に」困る。神様も同じ。「これは忘れてくれ」と祈りたくなるときもある。忘れてもらうのも「恵み」。フォーギブはフォーゲット。

6月30日(水)
主よ、あなたは従う人を祝福し、御旨のままに、盾となってお守りくださいます。(詩編5:13)
信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。(エフェソ6:16)
私の黙想
盾は防御のための武器。神は盾となって守ってくださる、と言う。ただし、その前の「御旨のままに」という言葉が気になる。守る時もあるし、守らない場合もある。神の守りは機械的ではない。相手が神ならそれでも「信頼し、従う」が、それがアメリカの「核の傘」の場合は?

7月01日(木)
わたしは主、あなたの神。わたしはあなたを導いて道を行かせる。(イザヤ48:17)
キリストの言葉:神の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。(ヨハネ7:17)
私の黙想
今日の聖句で省略されている部分が重要。「わたしはあなたを教えて力をもたせ」。これがあるから、「前に進める」。 今日から7月。もう半年すぎた。時間の流れは速い。

7月02日(金)
あなたが、わたしを畏れず、あなたの神である主を捨てたことが、いかに悪く、苦いことであるかを、味わい知るがよい。(エレミヤ2:19)
人々が「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。大祭司の僕が「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか」と言うと彼は再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。(ヨハネ18:25-27)
私の黙想
今日の聖句は預言者エレミヤが預かった「万軍の主なる神」の言葉。牧師も時々、こういう言葉を言いたくなるときがある。でも言えないのが現実。気の弱い預言者の嘆き。はっきり言ってやったらどうだ。牧師は弱い。エレミヤが批判した預言者たちと同じ。

7月03日(土)
御手がわたしを造り、固く立ててくださいました。あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。(詩編119:73)
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。(ヨハネ15:4)
私の黙想
今日の聖句、文語訳が一番いい。「汝の御手は我を造り、我を形づくれり。ねがはくは知恵を与えて我に汝の誡命をまなばしめたまえ」。創世記2:7を想う。 イエスもこれを読み、祈ったのだ。

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