ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 1/8~1/14

2012-01-16 21:56:18 | ローズンゲン
今日のローズンゲン 1月8日(日):
災いだ、悪事を謀る者は。力をその手に持っているからだ。(ミカ2:1)
イエスの言葉:あなたがたは自分の量る秤で量り与えられる。(マルコ4:24)
私の黙想:
悪巧みをする者、しかもそれを実行する能力(権力)を持っている者は災いだという。いや、権力を持っている連中が悪事を謀る。その結果、国民に災いに苦しむ。余所のことではない。今の日本の問題である。

今日のローズンゲン 1月9日(月):
災いだ、彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、主を尋ね求めようとしない。(イザヤ31:1)
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。(1コリント2:5)
私の黙想:
昨日に続いて今日も「災いだ」で始まる聖句。今日は軍事力の話。結局権力とは軍事力だ。日本の権力者はアメリカの軍事力を頼りにして自己の権力を維持している。そのためなら何でもする。日本という国のあるべき姿を擲ち、国民を騙してでも、アメリカに迎合する。

今日のローズンゲン 1月10日(火):
衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。あなたたちの神、主に立ち帰れ。(ヨエル2:13)
イエスの言葉:時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ1:15)
私の黙想:
人間は罪深いものである。しかしそのことと悔い改めとを直結してはならない。悔い改めとは具体的な罪を自覚し、その罪に悩むから意味がある。ところがキリスト教では悔い改めそのものが目的化している。悔い改めの神学が変な敬虔主義の温床になっている。

今日のローズンゲン 1月11日(水):
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前にわたしはあなたたちにそれを聞かせよう。(イザヤ42:9)
闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。(1ヨハネ2:8)
私の黙想:
時間は一瞬も止まることなく確実に進む。常に「古い時」は消え去り「新しい時」を迎えて進む。新しい時に対応できない人間、今という時の甘い汁に満足している人間には新しい時の到来が見えないらしい。もう既に新しい時が始まっているのに。

今日のローズンゲン 1月12日(木):
主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。(士師記6:23-24)
キリストの言葉:あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ16:33)
私の黙想:
ギデオンは神から「死ぬことはない」と言われて、どう思ったのだろう。それで安心出来たのか。これから民族の存亡をかけて敵と戦おうとする指導者として「死なない」という保証がどれ程意味があるのだろう。むしろ「死ぬ気で」戦うことが肝要である。

今日のローズンゲン 1月13日(金):
慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。(イザヤ40:1)
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。(1コリント4:6)
私の黙想:
「私の民は、今、慰めを必要としている(=苦難の中にある)」という認識が神にある。この場合、慰めは「言葉」ではなく「戦い」である。神は預言者に「戦え、わたしの民のために戦え」と主は言われる。

今日のローズンゲン 1月14日(土):
あなたの栄光は全地を満たす。(詩72:19)
キリストの言葉:全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)
私の黙想:「世界は神の栄光で満ちるように」(祈祷書訳)。詩編第2編の終わりの賛美。「世界は神の栄光に満ちている」という確信と、そうなるようにという祈り。そうなっていないという現状認識とそうなるように働くという決意。ここに神賛美の核心部分が秘められている。

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