今日のローズンゲン 7月10日(日)
主は争うために構え、民を裁くために立たれる。(イザヤ3:13)
キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。(ロマ8:1)
私の黙想
「構え」、「立ち上がる」。まるで相撲である。今日から半年中断していた大相撲が始まる。
今日のローズンゲン 7月11日(月)
お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言いうるのか。「彼がわたしを造ったのではない」と。陶器が、陶工に言いうるのか。「彼には分別がない」と。(イザヤ29:16)
主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。(ヤコブ4:10)
私の黙想
人間には「完全」ということはあり得ない。人間には「歪み」がある。神は人間の歪みを喜び美しいものとする。それが陶工と作品との関係である。単純な科学技術者にはそれがわからないらしい。人間の歪み(不完全性)を計算に組み入れない科学技術は不完全である。
今日のローズンゲン 7月12日(火)
わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。(創世記18:19)
イエスは言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした。」(ルカ22:35)
私の黙想
ヤハウェがアブラハムを選んだ理由が、アブラハム自身によるのではなくアブラハムの子孫の故であると言う。ヤハウェがアブラハムに「隠すこと必要がない」として打ち明けられた秘密。
今日のローズンゲン 7月13日(水)
神はヤコブ言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。恐れてはならない。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。」(創世記46:3-4)
あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。(1テサロニケ5:24)
私の黙想
飢饉のために祖国に住めなくなり異国(エジプト)への移住を余儀なくされたヤコブ一族への神の言葉。「必ず連れ戻す」という神の言葉には「生きて」が含まれていなかった。むしろ異国の地でエジプトの宰相となった息子ヨセフによって「まぶたを閉じられる」と神はいう。
今日のローズンゲン 7月14日(木)
主よ、あなたの真実はそれほど深い。(哀3:23)
彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。決してそうではない。(ロマ3:3-4)
私の黙想
神の「真実」とは、神の「誠実さ」である。「誠実さ」は「誠実そうな」の中にはない。誠実さとは隠れた真実である。
今日のローズンゲン 7月15日(金)
イスラエルを治める者、彼こそ、まさしく平和である。(ミカ5:4)
すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。(ヘブル12:14)
私の黙想
イザヤと同時代の預言者の言葉。「イスラエルを治める者」とはダビデを原型とする将来の「王」。彼によって「真の平和」が訪れるという希望。「遠い希望」という言葉は今のことを語っているのでは無いという説明の付くと「人を惑わす言葉」になる。昨日、枝野官房長官の口から発せられた言葉に似ている。
今日のローズンゲン 7月16日(土)
あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福する。(創世記26:3)
あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です。(エフェソ2:19)
私の黙想
アブラハムの時代の飢饉の時(創12:)にはアブラハムがエジプトに行くことを止めなかった。ヤコブの時代にはエジプトに行くことを勧めた(創46:3-4)。しかしイサクの時にはエジプトに行くことを止めた。アブラハム神、イサクの神、ヤコブの神は自由である。
主は争うために構え、民を裁くために立たれる。(イザヤ3:13)
キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。(ロマ8:1)
私の黙想
「構え」、「立ち上がる」。まるで相撲である。今日から半年中断していた大相撲が始まる。
今日のローズンゲン 7月11日(月)
お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言いうるのか。「彼がわたしを造ったのではない」と。陶器が、陶工に言いうるのか。「彼には分別がない」と。(イザヤ29:16)
主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。(ヤコブ4:10)
私の黙想
人間には「完全」ということはあり得ない。人間には「歪み」がある。神は人間の歪みを喜び美しいものとする。それが陶工と作品との関係である。単純な科学技術者にはそれがわからないらしい。人間の歪み(不完全性)を計算に組み入れない科学技術は不完全である。
今日のローズンゲン 7月12日(火)
わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。(創世記18:19)
イエスは言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした。」(ルカ22:35)
私の黙想
ヤハウェがアブラハムを選んだ理由が、アブラハム自身によるのではなくアブラハムの子孫の故であると言う。ヤハウェがアブラハムに「隠すこと必要がない」として打ち明けられた秘密。
今日のローズンゲン 7月13日(水)
神はヤコブ言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。恐れてはならない。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。」(創世記46:3-4)
あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。(1テサロニケ5:24)
私の黙想
飢饉のために祖国に住めなくなり異国(エジプト)への移住を余儀なくされたヤコブ一族への神の言葉。「必ず連れ戻す」という神の言葉には「生きて」が含まれていなかった。むしろ異国の地でエジプトの宰相となった息子ヨセフによって「まぶたを閉じられる」と神はいう。
今日のローズンゲン 7月14日(木)
主よ、あなたの真実はそれほど深い。(哀3:23)
彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。決してそうではない。(ロマ3:3-4)
私の黙想
神の「真実」とは、神の「誠実さ」である。「誠実さ」は「誠実そうな」の中にはない。誠実さとは隠れた真実である。
今日のローズンゲン 7月15日(金)
イスラエルを治める者、彼こそ、まさしく平和である。(ミカ5:4)
すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。(ヘブル12:14)
私の黙想
イザヤと同時代の預言者の言葉。「イスラエルを治める者」とはダビデを原型とする将来の「王」。彼によって「真の平和」が訪れるという希望。「遠い希望」という言葉は今のことを語っているのでは無いという説明の付くと「人を惑わす言葉」になる。昨日、枝野官房長官の口から発せられた言葉に似ている。
今日のローズンゲン 7月16日(土)
あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福する。(創世記26:3)
あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です。(エフェソ2:19)
私の黙想
アブラハムの時代の飢饉の時(創12:)にはアブラハムがエジプトに行くことを止めなかった。ヤコブの時代にはエジプトに行くことを勧めた(創46:3-4)。しかしイサクの時にはエジプトに行くことを止めた。アブラハム神、イサクの神、ヤコブの神は自由である。