ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 04/22~04/28

2012-05-02 06:21:37 | ローズンゲン
losungenj 2012.04.22(sun)
わたしが彼らを増やす。数が減ることはない。わたしが彼らに栄光を与え、侮られることはない。(Jer30:19) イエスはたとえを用いて語った。「からし種は蒔かれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 (Mak4:32)
私の黙想:
人数を馬鹿にしてはいけない。人数は力である。それは政治的勢力だけではない。教会の礼拝も百人以上集まる場合と十人以下とでは全然違う。小さな礼拝にもそれなりの良さがある。従って「力ある信仰生活」のためには、大小の礼拝の組み合わせが必要だろう。

losungenj 2012.04.23(mon)
わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります。(Ex24:7)
キリストの言葉:互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。(Joh13:35)
私の黙想: 
私は「主が語られたことをすべて行う」なんて到底言えない。ただ、それが正しいということだけを承認するだけである。それで良いなんて少しも思っていないが、「神さまそれでお許し下さい」と言うのが精一杯である。それが私の信仰生活だ。

losungenj 2012.04.24(tue)
老いの日にも見放さずわたしに力が尽きても捨て去らないでください。(Ps71:9)
たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(2Cor4:16)
私の黙想: 
歳を取れば肉体が衰えるのは仕方がない。「力が尽きても」という言葉は深刻である。「尽きる」とは限界状況、つまり死を意味する。そこからは「私の意志や努力」とは無関係の世界に入る。その場面において「捨て去らないでください」という祈りが意味を持つ。

losungenj 2012.04.25(wed)
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。(Ps1:3)
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。(Mat7:16)
私の感想: 
私たちの行為も言葉も時が巡り来れば、必ず結果があらわになる。実は神の前では「時がめぐり来なくても」、今既にあらわになっている。「時」とは私たちが悔い改め、生き方を正すための「私のための時」であり、それは神による「執行猶予期間」である。

losungenj 2012.04.26(thu)
雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望む人はすべて。(Ps31:25)
正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。(1Tim6:11)
私の黙想:
「主を待ち望む人」への応援歌。応援歌には理屈は要らない。単純でいい。単純がいい。もうあと一息だ、頑張れ。問題は誰が応援しているのか。この聖句は共に苦労をしている「ダビデ」という名前の信仰者。私もささやかながら東北で頑張っている若者たちに応援歌を送りたい。

losungenj 2012.04.27(fri)
なぜうなだれるのか、わたしの魂よなぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう「御顔こそ、わたしの救い」と。(Ps42:12)
あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。(1Pet5:10)
私の黙想:
「なぜうなだれるのか」。いつもいつも元気な方がおかしい。時には元気、ときにはうなだれる。その方が自然であり、人間味がある。そんな中で「なぜうなだれてるの」と声を掛けてくれる者が、あるいはそれを分かって黙っていてくれる者が側にいることは幸せである。

losungenj 2012.04.28(sat)
心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。(Isa35:4)
最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。(Rev2:8-9)
私の黙想: 
原発が爆発したら確実に日本は全滅するというのに、そちらの方は恐れおののかず、来るかどうか分からない地震や津波の方を恐れる。何かおかしくないのか。原発さえなければ、原発のために使う予算を地震対策に使えば、地震や津波はそれ程恐ろしくない。

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