ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

合唱団京都エコー創立45周年記念演奏会

2008-03-04 15:29:29 | ときのまにまに
この度、京都を訪れた一つの目的は、合唱団京都エコーの創立45周年記念演奏会(3月2日午後2時より京都コンサートホールにて)を聞きに行くことであった。今回は、「まるごと貴富」と銘打って、現在最も活動的な若き作曲家信長貴富を取り上げ、「信長貴富のすべて、みせます」という注目すべきコピーが前面に打ち出され、まさにそれを裏切らない内容であった。信長さん自身が指揮をしたり、ピアノ演奏まで「見せて」くれで、ファンにはたまらないサービスであった。
しかし、何よりも、いつもながらの厚みのある繊細なハーモニーは団員の高年齢化と共に磨きがかかり、わざわざ九州から出かけても惜しくなかった。
わたし自身若い頃、合唱をしていたが、その頃、ドイツや英国ではかなりの年齢の合唱団員が歌っているということを伺い、「信じられない」思いでした。その頃の日本では合唱といえば「青年のもの」と相場は決まっていたからである。その頃の青年の一人が呼びかけ、一つの合唱団が誕生し、指揮者も団員も共に歳を重ね、現在の合唱団京都エコーに育った。その頃「信じられない」と思われていた世界レベルの合唱団が現実のものとなった。また、それに相応しい、作曲家も与えられ、夢のような思いである。
京都エコーの演奏会の二つのモチーフ「反戦と祈り」は今回も、聴衆の心を打った。今回の演奏曲の中で、木島始作詩・信長氏作曲による「厄払いの唄」は秀逸で、舞台演出といい、演奏といい、完璧であった。また、わたし個人としてはアンデルセンの詩にによる「一詩人の最後の歌」はわたし自身の思いと重なり合って、感動した。
面白いもので、ここまで合唱というものが完成されると、詩人とか作曲家とかの姿が消え失せて、「詩」そのもの、その言葉自体が生きもののように語り始める、ということを経験した。合唱という音楽は、音の美しさを越えて、言語そのものの持つ「魔力」が演奏者も聴衆も魅惑する。この「魔力」はいかなる器楽による音楽にもないし、あるいはどれ程大規模なオーケストラでも及ばないものである。このデモーニッシュな力に魅せられた魂は、もはや合唱から逃れられない。

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1 コメント

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ご来場有難うございました。 (バリバリ)
2008-03-24 13:41:57
お褒めの言葉を頂戴し、一生懸命歌った歌い甲斐がございます。本当に有難うございました。
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