ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 3/21

2011-03-22 08:52:06 | ときのまにまに
お早うございます。大災害の中、被災された方、救援活動に当たっておられるすべての方々に上よりの祝福が豊かにありますように。6時起床。昨夜は10時に就寝。昨日80歳の祖母と16歳の孫(高校1年生男子)が1キロ流された崩壊家屋から9日ぶりで救出された。嗚咽。体調良好。チュンチュン。
posted at 06:11:11

#losungenj 主の言葉:彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。(詩91:14)
posted at 06:13:34

#losungenj パウロの言葉:わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じないことである。(口語訳、フィリピ1:20)
posted at 06:15:51

#losungenj 今日の聖句は嫌いだ。神は「わたしを慕う者」だけを助けるのだろうか。祈祷書訳では「わたしに頼る者をわたしは救い」で、少しはましだ。神による救済の境界線は「頼るか頼らないか」ではない。神の意志は人間の思いを超えているということ。私たちはだた「分からない」だけ。
posted at 06:25:31

今日の名言: 「キリスト教は、『人からしてもらいたいことを人にもせよ』という黄金律を、特定時における特定社会に適用するための詳細な政治的綱領を持ってはいないし、また持っているなどと主張してもいない。いや、そもそも、持つことができないのだ」(CS.ルイス)。 <一言>「アーメン」
posted at 06:31:17

「東日本大震災、わたしたちの祈り」 をブログにアップしました。この祈祷文はどなたが作成されたのか分かりませんが、昨日の礼拝(菊池黎明教会)で祈られたものです。とても行き届いた祈祷文なので、聖公会以外の諸教会の人びとにも紹介しておきます。 http://bit.ly/hKwRM3
posted at 09:23:28

これに続く奥田牧師の発言をお読み下さい。すべの宗教家に対する貴重な提言です。RT @tomoshiokuda: 私は、牧師なのですが、被災地における宗教的ケアというものが今、必要だと感じています。つづく
posted at 09:44:54

#losungenj 今日のローズンゲンで詩91:14の句は嫌いだ、と私は書いた。明らかに「災い」という言葉と「慕う者」という言葉の組み合わせに「今の状況」が異常に反応した結果である。しかしこの言葉は関根先生のいうとおり、神と詩人との特殊な関係を背景にしたことばである。続く
posted at 11:30:49

#losungenj @togakuniyasu さんも指摘しておられるように「慕う」という言葉には解釈が入りすぎていると思う。むしろここは口語訳のように「愛して離れない」、もっと端的に「わたしにつきまとって離れない」という意味であろう。ルカ11:5以下のエピソード参照。
posted at 11:40:27

へーそうなんか。ツイッターが始まって確かに情報環境は変わった。RT @nannohi: 【ツイッター誕生日】(3月21日)2006年のこの日、ミニブログサービス「ツイッター(twitter)」の一番最初の「つぶやき」(書き込み)が行われた。
posted at 16:14:57

次の日曜日(大斎節第3主日)の<講釈>「主に向かって 詩95」をブログにアップしました。 こういうときだからこそ、落ち着いて私たちの日常性を顧みたいと思います。 http://bit.ly/e8Iekj
posted at 17:55:37

北九州の奥田牧師のメッセージ。3回続く。すべてのキリスト者に聞いてほしい。「代祷」の意味が分かったような気がする。RT @tomoshiokuda: あまりにも大きな悲しみは、人から祈ることを奪う。祈るとは、希望であり、愛を根拠としているからだ。以下省略。3回続く
posted at 19:41:15

<補遺>福島原発の事故により、今までのエネルギー政策の問題点が次々の明るみに出てきている。その責任は自民党にあるのに、なぜ現政権はそれを隠そうとするのだろうか。もう既に「毒饅頭」を食べてしまっているからか。

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