ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

大盤振舞

2009-05-11 15:23:48 | ときのまにまに
先日、友人たちへのメールで定額給付金や休日の高速道路1000円にの「経済対策」について、JustsystemのAtokによる漢字変換を信用して、何の疑問もなく「大判振る舞い」であると書いたところ、親しい友人から「大判振る舞い」という言い方は間違いで、正しくは「椀飯振舞」と書くべきだというご注意を受けた。確かにその通りで、いろいろと変換を試みたところ、「オオバンフルマイ」と打ち込むと「大判振る舞い」と変換され、「オウバンブルマイ」と打ち込むと「大盤振る舞い」と変換される。いろいろ試みても「椀飯振舞」という熟語は出てこなかった。というわけでわたしのパソコンには椀飯振舞を単語登録をした。
広辞苑では見出し語として「大盤振舞(オオバンブルマイ)」があるが、これは「椀飯振舞(オウバンブルマイ)」当て字であるとされ、「江戸時代、民間で、一家の主人が正月などに親類縁者を招き御馳走をふるまったこと。転じて一般に、盛大な饗応」という風に解説されている。
この語の歴史を瞥見してみると、平安時代においては、宮中行事の際に、公式の食事とは別に、祭儀のために奉仕した人々にお椀に高く盛ったご飯を中心におかずを添えて提供さた弁当類を意味したようである。そう言えば、仏壇や神棚にお供えする「ご飯」が小さなお椀に山盛りにされているのを見るが、小さいながらもあれが「椀飯」に由来をもつものであろうか。あんなに小さなお椀では大盤振舞にならないのではないかとも思うが・・・・・。<通常は神棚にはお米を供えるがご飯は供えないとも言われている。>
鎌倉時代になると、この習慣が武家社会にも広まったが、ここでは各地の大名が将軍に対して、太刀・名馬・弓矢とともに椀飯を贈るというように方向が逆になっている。
応仁の乱後、将軍に対する椀飯の儀式は行われなくなり、家臣が主君を接待する儀式から、年始や節供などに主君が家臣を接待する儀式へと変化し、さらにその風習が民間にも広まり、年始に親類縁者や友人知人を招いて馳走することを「椀飯振舞」と称せられるようになった。現在ではこれがさらに転じて「大盤振舞」となった。
このように、この言葉の歴史を概観すると、この言葉には「上から下に」か、あるいは「下から上に」という上下関係が前提となっていることが分かる。いずれにせよ、常に振る舞う側の財布の痛みが伴うが、今回の「椀飯振舞」には振る舞う側の財布が少しも痛まず、国民が国民の金を「山分け」しているのであるから、この場合に「椀飯振舞」という言葉を用いることは間違いである。

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