ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 9/25~10/1

2011-10-08 09:21:04 | ローズンゲン
今日のローズンゲン 9月25日(日):
日の出る所から、日の入る所まで、諸国の民の間でわが名はあがめられる、と主は言われる。(マラキ1:11)
どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。(使徒言行録10:35)
私の黙想 :
「日の出ると所から日の入る所まで」。何と美しい表現だろう。世界をこういう言葉で捉える人々の感性を学びたい。世界は丸いという「科学的理解」からはこういう表現は出てこないであろう。世界は平べったく同質で、人々は同じ朝を迎え、同じ夜を迎える。

今日のローズンゲン 9月26日(月):
主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。(詩92:6):
焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。(ロマ9:21)
私の黙想:
神の御業は偉大である。しかし、その偉大さは馬鹿には分からない。馬鹿には賢い者の賢さを理解できない。これは一般的に見られるごく当たり前の真理。馬鹿は人間を賢い存在だと信じている。人間の賢さは人間の愚かさを悟るところから始まるノダ。

今日のローズンゲン 9月27日(火):
主よ、あなたが民を喜び迎えられるとき、わたしに御心を留めてください。御救いによってわたしに報いてください。(詩106:4)
わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(フィリピ4:19)
私の黙想:
詩人は自分を民族のリーダーに重ねている。当然のことであるが、リーダーには一般国民には理解されない特別な苦労が伴う。この詩人の言葉にはリーダーに対する特別な感謝の念がある。国民から感謝されるリーダーは幸いである。

今日のローズンゲン 9月28日(水):
主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。栄えと輝きをまとい、光を衣として身を被っておられる。(詩104:1-2)
群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。(マタイ15:31)
私の黙想:
栄光に輝く神、神の本質はそうであろう。しかし私たちが信じ従う神は「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。人々に軽蔑され、見捨てられた神」(イザヤ53)であり、私たちの「多くの痛みを負い、病を知っている」神である。

今日のローズンゲン 9月29日(木):
災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。(エゼキエル34:2)
パウロの手紙:権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。(ロマ13:4)
私の黙想:
ここでいう「牧者」とは政治的指導者。どこの世界でも権力を握り経済を支配すると腐敗する。預言者は彼らの不正を直言しなければならない。宗教的指導者が彼らに甘くなると社会の正義と公正さとが失われ、貧富の格差が広まり、福祉が低下する。私は旧約聖書の話をしているのだ。

今日のローズンゲン 9月30日(金):
わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。(イザヤ43:11)
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2:11)
私の黙想:
それはそうに違いないけれど、それはイスラエルだけの救い主なのだろうか。イスラエルの人々が、その神を全人類の救い主を意味するのだということを承認するに至るためには、イエスの登場を待たなければならない。

今日のローズンゲン 10月1日(土):
わたしは、わたしの名のために怒りを抑え、わたしの栄誉のために耐えて、お前を滅ぼさないようにした。(イザヤ48:9)
しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かしてくださいました。(エフェソ2:4-5)
私の黙想:
神のエゴイズム。こういう文章を「神に代わって」書き留めることができる預言者の神経はすごい。そうか。神とは徹底的にエゴイストなのだ。その前提に立たなければ「神の民」などやっておれない。神のエゴイズムに付き合う神の民という構図が見えてくる。

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