ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 1/22~1/28

2012-02-07 08:10:51 | ローズンゲン
losungenj 01.22(sun)
神は人間をまっすぐに造られたが、人間は楓雑な考え方をしたがる。(コヘレト7:29)
キリストの言葉:わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ8:31-32)
私の黙想:
「複雑な考え方をしたがる」という人間の「傾向性」が問題。そこには複雑な考え方が高級だという根本的な誤解がある。人間にとって最も重要なことは、単純に「まっすぐに考える」ことだ。真理は単純さの中にある。

losungenj 01.23(mon) 

わが神、主よ、あなたは命を、滅びの穴から引き上げてくださった。(ヨナ2:7) 
キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。わたしは、その罪人の中で最たる者です。(1テモテ1:15) 
私の黙想: 
預言者ヨナにとって大きな魚の胃袋が「滅びの穴」ではない。神の召命から逃れようとして港に行き、そこにタイミング良く神の意志とは反対方向に向かう船があったことが「滅びの穴」だ。滅びの穴は何時も都合が良い時に開かれる。

‎losungenj 01.24(tue):
聖歌隊と共にわたしは主をたたえます。(詩26:12)
互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。(へブル10:24-25)
私の黙想:
「聖歌隊と共に」。コーラスにはデモーニッシュな魅惑がある。これに捕まってしまうと一生をそれに捧げるようになる。個声を超えて「普遍声」に生きる。「デモーニッシュ」という言葉には悪魔が含まれている。これを「天使」に置き換えると「聖歌隊」になる。

losungenj 01.25(wed)
主は、お前の行く手に御使いを遣わして下さる。(創世記24:7)
天使がペトロに、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。(使徒言行録12:8)
私の黙想:
主人が下僕を特別な任務につけて送り出す言葉。主人は「主(神)の根回し」を語るが、賢明な下僕は「神の根回し」を期待しない。全ての仕事を「100%自己責任」のもとで全力を尽くす。失敗もあるだろう。巧くいかないこともある。「神の根回し」は事後の感謝。

losungenj 01.26(thu)
ナアマンの言葉:僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。(列王下5:17)
イエス・キリストこそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。(1ヨハネ5:20-21)
私の黙想:
主君への忠誠心と神への感謝との板挟みで悩むナアマン将軍。預言者エリシャに相談し、預言者の指示に従う。上に立つ人間は、誰に相談し、誰の指示に従うかが重要。国民との約束を反故にし、支持者を騙すリーダーを誰も尊敬しない。比較の対象を間違えたかな。

losungenj 2012.01.27(fri)
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。(詩46:2-3)
パウロの手紙:わたしは弱いときにこそ強いからです。(1コリント12:10)
私の黙想:
こういう非常に信仰的な聖句を前にすると、私は縮み籠もって頭が働かなくなる。ただ「アーメン」とだけしか言えない。人はどういう場面でこういう言葉を口するのだろうか。信仰的に高められている時か、あるいは落ち込んでいる時か。おそらく後者であろう。

‎losungenj 01.28(sat)
モーセの言葉:主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。(出エジプト34:9)
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義となさったのです。(ロマ8:30)
私の黙想:
「もし御好意を示してくださいますならば」という言葉は何を意味するのだろうか。神との間で不要な、あるいは必要以上に卑下した言葉ではないだろうか。神の元で、神の命に従って民を導くモーセにおいて、違和感を感じる。ただ一言、「主よ、一緒にいて下さい」で十分ではないか。

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