ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 07/18 森元首相の安倍さんへの一撃

2015-07-20 08:30:25 | ときのまにまに
お早ようございます。主の平和。『新約思想の成立』続読。「キリスト教は人間を本質的に時間的存在であると考えている。すなわち人間はその性格を形成する過去と、常に新しい出会いをもたらす将来とを持つ歴史的存在なのである」(ブルトマン)。買い物。昼寝。夜、見えるべきものなし。10時半に就寝。5時半起床。体調・快調、チュン、チュン。
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鈴木 ゴリ 宣仁さん、山上 博信さん、加藤 治さん、他26人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ ジメジメと不快な朝です。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。今日も交通機関マヒ状態かも?良き日となりますように。お祈りします

門叶 国泰 神は、新しい出会いをも御存じなのですね。(詩篇139:16と合わせて)

播 稔 過去は自分も判っています、将来を含む現在を、私は「神の領域」と思っています。
posted at 05:55:14


文屋 善明
7月18日 6:44 · 編集済み ·
今日の名言:@F_W_N_jp
何? 人間は神の一つの失策(へま)に過ぎないって?それとも、神が人間の一つの失策に過ぎないのでは?(ニーチェ、『偶像の黄昏』)
<一言>この最初の「何?」という疑問詞がインポータント。彼は、この問いに断定的に答えることはできない。この問いの前で、人間はたじろぐ。
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鈴木 ゴリ 宣仁さん、山上 博信さん、上野 博志さん、他23人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:43:58

「昨日のツイート 07/16 声明書「自由と平和のための京大有志の会」」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/8bf329a6e855f0b7ad4eede57b01b59…
posted at 09:23:35

「今週のローズンゲン 2015/07/12~07/18」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/bb6f8caacd896eef2e3fe7c389b32f1…
posted at 11:35:06


文屋 善明
7月18日 6:33 ·
お目覚めの花。「ショック、ショック、世界は驚きに満ちている」「歴史とは継続する驚きである」「私たちはShocking Redです」。
文屋 善明さんの写真
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上野 博志さん、糸原 由美子さん、Hanna Bunyaさん、他33人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 サルビアの花っていうマイナーな歌がありましたね。


文屋 善明
7月18日 6:15 ·
2015日々の聖句 07月18日(土)
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。(詩139:16)
ナタナエルはイエスに言った。「どうしてわたしを知っておられるのですか。」(ヨハネ1:48)
私の黙想:
今日の聖句、今までにも何回も考えたこともあるし、語ったこともあるし、いわば「当然」過ぎる言葉である、が、今日の新約聖書の聖句と組み合わされると非常に新鮮に響く。目の前にいる一人の人間から私自身も知らない「私の過去」を、私が胎児であった頃からのことを知っていると言われた時のショックである。私には私の知らない「過去」がある! その「私の過去」を知っている人が目の前に存在している!ナタナエルでなくても、思わず「あなたは神の子だ」と叫ぶであろう。
今日の詩編の言葉にはそのような「驚き」がある。私たちはその驚きの前に立っていない。考えてみると「反省的思考」によると、確かに私は母の胎児として存在していた。その時の私の動き、反応を私たちは覚えていない。というより、知らない。しかし、知っている人間がいる。そして、そのわたしに語りかけていた人間がいる。私はその人の胎内で生きていたのである。まさにその意味で、母親(そして父親も)私にとって「神的存在」である。
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濱 和弘さん、上野 博志さん、Hanna Bunyaさん、他23人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 おはようございます。聖書の記述は、どうしてこんなに新しく感じられるのか、いぶかしく思うことがたびたびです。

文屋 善明 そうです。新鮮な驚きに満ちています。だから一生読み続けることが出来るのでしょうね」。

田中 弥詠子 おはようございます 結末で、息をのみました。有難うございます。

文屋 善明 結末の部分は、誤解されることを覚悟の上での言葉です。

田中 弥詠子 難解デスね。うーーーんデス??


文屋 善明
7月18日 8:04 · Yahoo!ニュース ·
成る程、これが森さんの怖さか。森さんは安倍首相との会談の前に全ての経緯をばらしてしまった。そして会談ではあっさり「負けてみせた」。その後での一撃、安倍さんが最も言われたくない言葉を公衆の面前で、全国民が聞くであろう状況でしゃべる。これが喧嘩上手の森(の石松)の本領であろう。これがあるから、今でも自民党内で隠然たる勢力を保持しているのであろう。

森元総理「国がたった2500億円出せなかったのかね」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
 新国立競技場の建設計画見直しを受け、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会 - Yahoo!ニュース(テレビ朝日系(ANN))
HEADLINES.YAHOO.CO.JP

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20150717-00000050-ann-pol

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眞鍋 千賀子さん、佐々木 弘幸さん、Kazunori Sunagawaさん、他47人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 これは安倍さんに対する「森の一撃」。この言葉を国民への言葉と思ったら、それは読み違い。


二上 英朗 苦言のつもりでしょうが、遠吠えにしか。

文屋 善明 安倍さんは「遠吠え」とは思わないでしょうね。

中井 信郎 「遠吠え」にすら思ってないんじゃないかと危惧します。蚊が飛んできたくらいにしか。

文屋 善明 そうだと思いますが、彼は鈍感ですから。いずれにせよ、自民党内部での勢力争い(喧嘩)です。

文屋 知明 「たった2500億円!」と言う感覚が問題の一つ!今でも、福島原発・東日本大震災で避難生活で苦労している方々が大勢いる・・。(-_-メ)

嶋津 雅彦 無責任な妄言としか聞こえません。

播 稔 一昔の自民党総理らしいことば、いまの日本を全く判っていない。

播 稔 国民は競技場に心を奪われてはならない、防衛問題とは事の大きさが異なる。日本の憲法は死んでいた。三権分立は言葉だけ。はたして民主主義国家だろうか。

三田 清次 何と比べて? 明白(これまでの五輪に決まってる!)なこと。
金銭感覚も、国際感覚も、人としての感覚も…
何もない シンキロウ((+_+))

美濃和人 · 共通の友達: 三田 清次さん
黒字の国ならよろしいんですが

永井 康雅 · 共通の友達: 牧口 望さん
安倍を森あげる茶番

文屋 善明 もし、この時点で森さんを批判するとしたら、2500億円云々とか、国際感覚のズレではなく、彼の頭の中には自民党内部での自分の勢力(キングメーカー意識)以外の何もないということ、国民とか、国際とか、平和とか、憲法というような政治家としての自覚というような意識が全くないということです。いわゆる、「ゴッドファーザー意識」しかないということです。森という男はそういう男なのだということです。

藤本 洋二 · 共通の友達: 升永 英俊さん、他1人
AさんよりはMさんの方が賢いんだ!


文屋 善明
7月18日 15:09 ·
「戦争」とは決して抽象的なものではありません。そこでは、お互いに知らない人間同士が生命をかけて殺し合いをすることなんです。こんなことが許されるでしょうか。

西原 廉太
【声明】

もう二度と、愛する学生たちに武器を取らせず、戦地に赴かせないために、私は、安保関連法案を直ちに廃案とすることを求めます

立教大学 文学部教授 西原廉太

2010年5月27日に、アメリカから突然、一通のメールが私のもとに届きました。それは、ウィスコンシン州に住むスティーヴン・カーという牧師からでした。まったく面識のない方からでありましたので、戸惑いつつ読んだそのメールにはこう記されていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
親愛なる西原先生
私は、米国合同メソジスト教会、ウィスコンシン年会で奉仕する牧師です。ウィスコンシン州のオシュコシュ市に住んでおりまして、当地で、現在、第一合同メソジスト教会の牧師として働いています。私の隣家に住むアール・ツヴィッキー(Earl Zwicky)は、去る2009年9月1日に、85歳で天に召されました。ツヴィッキーが18歳の青年だった頃、彼は米国陸軍の軍曹として、第二次世界大戦下の太平洋戦域に赴きました。
米軍と日本軍が衝突する中、ツヴィッキーともう一人の米兵は、日本兵たちとの激しい銃撃戦となりました。その日本兵たちの一人が、ツヴィッキー軍曹の指揮の下、部下の兵士の攻撃によって倒されました。残念なことには、ツヴィッキーは、米国では、日本の(yosegaki-寄せ書き-が書かれた)「幸運の旗」(good luck flag)と呼ばれているものを、その日本兵の軍服のポケットから抜き取り、ツヴィッキーがこの世で生きている間、戦利品として所有し続けることになったのです。ツヴィッキーが亡くなる一年ほど前に、彼は、その旗にはいったい何が書かれているのか、その意味を知りたいと言うようになりました。私は、その旗に何が記されているのか、調べてみることを、彼に約束したのです。
私は、その旗を、ここオシュコシュにあるウィスコンシン大学に持参し、私の教会の信徒でもあるハイジ・ワイナート(Miss Heidi Weinert)の口添えで、同大学のヨーコ・モギ-ハイン(Dr. Yoko Mogi-Hein)教授に連絡を取りました。モギ-ハイン教授は、私とハイジに面会くださり、その旗に書かれていることを訳してくれました。その翻訳がなされる中で、この旗を持っていた日本兵について、私たちは多くのことを知りました。その内の一つが、この若い兵士が、実は、立教大学の現役学生であった、ということなのです。旗を手掛かりとして、私たちは、この学生の姓が、「ワタナベ」(Watanabe)と言い、剣道部、及び山岳会(a mountain climbing fraternity)のメンバーであったことを突き止めました。私が調べたところ、両部とも立教大学に今も存在するようです。
私は、隣人であるツヴィッキーとの、旗に記されている意味を明らかにするという、約束を果たしたのです。アール・ツヴィッキーが亡くなるほんの数日前、癌で死に行こうとする病院のベッドに横たわる彼に、私は、ツヴィッキーがこの旗を手にしたその日に起きたことについて聴かせて欲しいと願いました。アールにとって、そのことを詳しく語ることは、感情を抑えることが難しいほどに痛ましいことでした。彼は、終戦以来、決して語ろうとはしなかった、その日の出来事について、この立教の学生がいかにして命を落としたかについて、私に打ち明けてくれたのです。ツヴィッキーは、私に語り終えると、しばらくの間、沈黙していました。そして、彼は、私を見上げて、こう尋ねたのです。「この旗には、名前が書かれていたのか?」と。私は、旗には、その兵士の家族や友人たちからの激励と支えのたくさんの言葉と共に、実は、その日本兵の姓が記されていることを告げたのです。
私が、その日本兵の名と、旗に書かれた寄せ書きの言葉から知り得た、彼と彼の家族について語った後、ツヴィッキーは、またしばらくの間、沈黙していました。私はアールに、ワタナベの旗に寄せ書きをした人々は、彼が戦争で最善を尽くし、誇りを持って戦うよう励ましている、ということを説明しました。ツヴィッキーがこの旗から知った事実が、最終的には、アール・ツヴィッキーが70年近くも負い続けてきた心の傷を癒し、一つの区切りをもたらしたのだ、と私は信じています。
アール・ツヴィッキーもワタナベも、若い青年であり、戦争によって、敵対し合う場へと連れ行かれたのです。戦争で、両国民が経験した互いの痛みと苦難は、歴史に十分記されています。しかし歴史書に書かれず、後代の者たちが知り得ていなかったのは、この一人の若い日本兵についての物語であり、彼が戦いの中で、いかに威厳をもって死んでいったのか、という事実なのです。無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の「敵」が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。アール・ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。その記憶とは、彼の意識の底でずっと秘められ続けてきたものだったのです。私は、彼が戦った相手について何かしらを知ったことで、アールは、生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ついに閉じることができたのだ、と信じているのです。
残された、ツヴィッキー夫人であるオードリー(Audrey)が、最近、私に、ワタナベの「幸運の旗」を譲ってくれました。今の、私のミッションは、ワタナベの家族のどなたかが戦争を生き抜き、今も健在であるかどうかを調べることなのです。旗に記された事柄を基に、モギ-ハイン教授は、ワタナベの二人の姉妹たちがその旗に名を記している、と言っています。もし、姉妹たちが健在であるならば、きっと彼女たちの兄弟の旗を取り戻したいと願うであろうと、私は思わざるを得ないのです。私はしばしば自問するのです。彼女たちが、兄弟に起こったことを知っているのだろうか、と。兄弟が、戦いの中で威厳をもって死んで行ったということを知っているのだろうか、と。
もし、ワタナベの家族のどなたかが生きておられるならば、私は、この彼の人生の一部を、彼の家族に戻したい、と願うのです。もし、どなたも生きておられないならば、私は、立教大学が、この寄せ書き-yosegaki-が書かれた旗を、額に納めて、あなたたちの大切な一人の学生を覚えていただきたい、と思うのです。西原先生、私たちのこの世界には、たくさんの痛みと苦しみがあります。もし、私が、この旗を返すことができたならば、私は、あなたの大学に、あるいはワタナベの家族の生に、何かしらの癒しと平和、和解の種をもたらすことができるのだと思うのです。私はそのようにしたいのです。もしご家族が生きておられて、また、あなたが、それが良いことだと思われるならば、私は、ご家族、そして、立教大学の代表者の方々とお会いする機会を持ちたいのです。大学の学籍録などが戦争で失われていなければ、この学生の家族の所在も判るのではないでしょうか。
悲しいことに、時に、このいわゆる「幸運の旗」は、戦利品を扱うインターネットのサイトなどで売り買いされることがあります。これらの旗を売っている者たちは、一つひとつの旗が、失われた者の人生を表していることを理解していないのです。もしそれが私の家族のものであれば、何としても取り戻そうとするでしょう。和解の働きとして、私は、この旗を、この学生の家族、もしくは、立教大学に返したいのです。もし、この願いが叶わないのであれば、その場合には、ここ、オシュコシュ市にある「第二次世界大戦博物館」に展示されることになるでしょう。この博物館の学芸員は、ツヴィッキーとワタナベの物語を知っています。モギ-ハイン教授が、力添えを申し出てくれています。彼女のご家族が、立教大学の近くにお住まいだということです。
あなたが、何かしらお手伝いくださり、またご助言くだされば、幸いです。
あなたに平和がありますように。
スティーヴン・A・カー(Rev. Steven A. Kaehr)
第一メソジスト教会
オシュコシュ、ウィスコンシン、米国。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このメールを受け取り、私はすぐにカー牧師に連絡をしました。カー牧師によれば、メール中にも登場するモギ-ハイン教授から、立教大学はキリスト教で聖公会の大学なので、“Anglican”(聖公会という意味)と“Rikkyo”でネット検索をしてみたら、というアドヴァイスを受け、サーチしてみたところ、CUAC(世界聖公会大学連合)のサイトに行き当たり、そこの立教の頁に、私の名前とメールアドレスがあったので、連絡ができた、ということでした。また偶然にもカー牧師のお父さんは、カリフォルニア、サンディエゴの米国聖公会司祭でした。
私はカー牧師に、すぐにPDFで「旗」の写真を送ってもらいました。立教大学、吉岡総長、立教学院、糸魚川理事長とも相談し、立教大学として、この「ワタナベ」という学生の記録を辿ることになりました。旗には、本人の名前はありませんでした。ご両親、お姉さん、妹さんの名、また、学友たちの名前がはっきりと読み取れましたが、手がかりはそれだけであり、私は、最終的には分からないのではないかと思っていました。しかし、その後、調査を担当くださった学院職員の、いわば執念にも近い探索の結果、か細い糸を辿るようにして、すべてが判明しました。
この学生の名前は「渡邊太平」と言い、学徒動員で戦地に赴き、1945年4月にフィリピン、セブ島で戦死した経済学部生でありました。さらに奇跡としか言う他ない形で、太平さんの姪御さんが判明し、しかもその姪御さんである横尾とし子さんは、私が属する立教大学キリスト教学科の卒業生でありました。姪御さんのお母さん、太平さんのお姉さんは、2009年12月に他界されていました。亡くなる直前まで、愛する弟のことを口にされていたそうです。姪御さんは、お母さんが大切にされていた戦地から送られてきた太平さんの手紙や、写真を持参くださいました。その手紙は、涙なくしては読めないものです。召集のために未提出であった太平さんの論文も大切に保存されていました。
カー牧師はこのように言われます。「無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の<敵>が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。アール・ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。その記憶とは、彼の意識の底でずっと秘められ続けてきたものだったのです。アールは、生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ようやく閉じることができたのです。」
「戦争」とは、決して抽象的なものではありません。日本軍と米軍が戦った、と歴史には記されるのみですが、「渡邊太平」と「アール・ツヴィッキー」という名前を持った青年たちが、意図せず向かい合わざるを得なかった、というきわめて具体的な事柄なのです。そして、私たち立教大学も、時代状況ということはあれ、自分たちの大切な学生たちを、戦地に送り出してしまった、という責任を決して免れることはできません。私は、カー牧師からもらったメールを、ゼミの学生たちに紹介しました。学生たちはみんな、目を真っ赤にして聞いていました。私も、一人ひとりの学生の顔を見ながら、絶句してしまいました。私たちは、二度と、自分たちの大切な学生を戦争に送らない。それは、大学としての、立教大学としての責任です。
2010年、10月27日。一人の大切な立教生の「証し」が、実に、65年の歳月を経て、奇跡的に立教大学のキャンパスに戻ってきました。その時、私たちは、この大切な「証し」を、立教大学が、かつて戦争に協力してしまった罪責を自覚し、もう二度と、愛する学生たちに武器を取らせず、戦地に赴かせない決意の<しるし>として迎えたのです。

それゆに、私は、明らかに憲法に違反しており「戦争ができる国」へと道を開く安保関連法案を、直ちに廃案とすることを、ここに求めます。

2015年7月18日

立教大学 文学部教授 西原廉太

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佐々木 弘幸さん、寺田 由志子さん、松岡 義之さん、他39人が「いいね!」と言っています。

Chieko Shinbuchi 本当に涙なしには読めない貴重な記録、読ませて頂いて感謝です。渡邊太平君の生涯は決して無意味ではなく、私たちの心に生き続ける、そして平和への礎となる事を信じます。

Chieko Shinbuchi 文屋先生、いいねありがとうございます。

櫻井 啓子 この春二ヶ月だけ立教大学で働かせていただきました。
経済学部の学生さんも、それ以外の方も、熱心で、しっかりした若者ばかりでした。
70年前の学生さんも戦争がなければ同じように、朗らかに熱心に学び、未来を作れたのに。・・・もっと見る

橋本 秀馬 · 共通の友達: 升永 英俊さん、他1人
そう言えば同志社の学長は自分の大学の学生を戦争に出したいのかなぁ。


文屋 善明さんが新しい写真9枚を追加しました
7月18日 18:20 ·
今日(7月18日)夕方5時から「赤間駅前抗議集会」が開かれました。想像以上に多くの人が集まっていました。
文屋 善明さんの写真

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渡邊 宣博さん、早乙女 実さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他51人が「いいね!」と言っています。

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