ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 3/28

2010-04-04 06:37:08 | ローズンゲン
3月28日(日)
疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。 (イザヤ40:29)
その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ12:12-13)
私の黙想
今日の新約聖書の聖句は「教えのための聖句」というよりも、「棕櫚の主日」のための聖句。今日からキリスト教徒にとって最も重要な「受難週(聖週)」が始まる。今週の金曜日はイエスが十字架刑に処せられた受苦日である。

3月29日(月)
あなたの主権はとこしえの主権、あなたの統治は代々に。 (詩編145:13)
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブル13:8)
私の黙想
復活前月曜日、伝統的には葬りの準備としてイエスがベタニヤで香油を注がれたとされる。ローズンゲンでは神の統治と、イエス・キリストの永遠性がほめ讃えられる。

3月30日(火)
主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。(詩編145:9)
愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。(1ヨハネ4:11)
私の黙想
この「のどかな神賛美」。「互いに愛し合う」という人間の原点。十字架とか復活という「教理」以前の純粋な信仰こそ、「わたしたちの信仰」、すべての宗教に通底する信仰です。これを見失ったら、もはや「宗教」ではない。復活前火曜日。神殿から商人を追い出した日。

3月31日(水)
あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だからである。(イザヤ52:12)
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っており、わたしは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:14,15)
私の黙想
今日のローズンゲンではこの前の言葉が重要。「急いで出る必要はない、逃げ去ることもない」。空虚な墓のことを聞き、慌ててエルサレムから逃げ出した2人の弟子を思い起こす。イエスは彼らを追い、彼らに自己を顕した。ルカ福音書ではこれが復活のイエスの最初の顕現である。
今日は復活前水曜日。イエスがユダの裏切りを語り、ユダを去らせ、新しい戒めとして弟子たちに互いに愛し合うように語る。

4月1日(木)
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。(民数記6:24)
キリストの言葉:わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。(ヨハネ6:51)
私の黙想
今日の聖句は神がモーセに祭司たちに言えと言われた言葉。要するに間接の間接。つまり、ここでの「あなた」とは祭司たちで、祭司たちがイスラエルの人々に神の名を騙るとき、民が神から祝福を受ける。いわば、祭司制度を保障し、権威づける言葉である。その上での新約聖書の言葉。
新約聖書の言葉は、この後に「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」という言葉が続く。つまり聖餐式の言葉である。これを付加しないで前半だけ読むと非常に「生々しい」。
今日は4月1日、復活前木曜日で、イエスが弟子たちの足を洗われた洗足日で聖餐式制定の日でもある。今日から土曜日までを「聖なる三日間」とも言う。今日のローズンゲンもそのことを念頭に置いているのか?

4月2日(金)
主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙していないでください。(詩編39:13)
わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。(2コリント4:10)
私の黙想
本日のローズンゲンは「くじ」とはいうものの完全に受苦日のための黙想である。詩編の言葉には、この後に「わたしは御もとに身を寄せる者、先祖と同じ宿り人」という言葉が続く。わたしとしては、そちらの方が気になる。苦難の中にある信仰者の祈り。

4月3日(土)
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし,槍を打ち直して鎌とする。(イザヤ2:4)
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)
私の黙想
昨日読んだ池澤夏樹著『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(小学館)の中にロシアにおけるシオニズム運動「ビールー団」のことに触れて、この運動を支えた聖書のテキストがイザヤ書2:4で、これに続く5節の「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」という言葉のヘブル語から命名された(182頁)ということを読んだ。軍備放棄の思想に端を発したビールー団の運動(1882年)が新たな紛争の出発点となったということは、何という歴史の皮肉か。今日は聖土曜日、明日はいよいよ復活日。

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