ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 4/17

2011-04-26 09:21:32 | ローズンゲン
4月17日(日)
あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。(イザヤ9:2)
群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マタイ21:9)
私の黙想
今日の聖句、続きの部分を読むとガッカリする。「刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように」。彼らは「戦利品」をもらって喜んでいる。終戦直後の北朝鮮での悲惨な生活をを思い起こす。戦勝者の略奪はひどい。

4月18日(月)
わたしの心を潔白にした、と誰が言えようか。罪から清めた、と誰が言えようか。(箴言20:9)
あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(ロマ6:11)
私の黙想
そうだ。私は完全で失敗はない、と誰が言えるのだろうか。人間は不完全で「必ず」失敗する、という「想定」からしか原子力を取り扱うことが出来ない。そこには想定外はない。技術的に可能だと言う原発推進者たち(単純な自然科学者)にはそのことが分かっていないのであろう。

4月19日(火)
わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。(ヨシュア1:9)
体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。(マタイ10:28)
私の黙想
現在の日本の状況を考えて「うろたえない、おののかない」と言うことはただ単に状況を知らないということ、知らされていないと言うことである。もっと、もっと騒ぐべき状況にある。それも人災として。

4月20日(水)
いかに幸いなことでしょう、主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。(詩119:2)
キリストの言葉:主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(ヨハネ13:14-15)
私の黙想
「主の定め」とは何か。神は人間に何を定めたのか。神は人間をエデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」これが神の定めだ。

4月21日(木)
見よ、わたしは娘なるわが民を、火をもって溶かし、試す。(エレミヤ9:6)
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(マタイ26:75)
私の黙想
いくら自分の娘だと言っても「火を以て溶かす」というのはひどい。今日は聖木曜日、聖餐式制定日である。

4月22日(金)
主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる。(ゼカリア14:9)
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。(マタイ27:37)
私の黙想
今日は受苦日。NTはマタイ27:37。こういう死に方をした人物を預言者ゼカリアが示す「地上をすべて治める王」と信じる信仰は、ただ凄いとしか言いようがない。いろいろな歴史を経て、私もそれを信じているのだが・・・・・・・。

4月23日(土)
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。(詩139:16)
自分の命のことで思い悩むな。(マタイ6:25)
私の黙想
胎児であったときのことなど私が知っているはずがないではないか。確かにそうかも知れないが、そんなにはっきり言われてしまったら、立つ瀬がない。今日は暗黒の土曜日。祭壇の上の十字架に黒い布が被せられる、ことになっている。明日はイースター。

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