ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

「さようなら」について

2008-05-28 09:28:30 | ときのまにまに
日本人が普通に使っている「さようなら」という別れの挨拶語は、考えてみるとおもしろい。この言葉は、もともとの意味は「左様ならば」あるいは「そうならば」を意味する接続詞である。日本人は10世紀の半ば以来、この接続詞を別れ言葉として使ってきている。なぜだろう。難しい解説をすると、「先行の事柄を受けて後続のことが起こることを示す順態の仮定条件を示す接続詞」とのこと。要するに、今までのことを一応決着し、そのことを条件として、新しいことに向かうという心構えを示す(竹内整一:日本思想「おのずから」と「みずから」の基層、春秋社、204頁)。今日までのことは、ここでピリオドを打って終わりにしましょう。今度お会いするときには全く新しい人間同士としてはじめましょう、という思いが込められているように思う。そろばんで言うと、「御破算(ゴワサン)では」で、そこまでの数字を計算し、答えを出す。その上で「願いましては」で新しい数字が読み上げられ、計算が始まる。ようするに、「さようなら」は、この「御破算では」にあたる。
考えてみると、「さようなら」という別れの言葉は奥が深い。今日と明日とをいったん断絶させた上で、「今日」の「こと」が「左様であるならば」、「明日」の「こと」もなんとかなるというように「今日」と「明日」とを連続させる。この断絶と連続との曖昧さを別れる双方が、それぞれ自由に感じる。この曖昧さに日本人の人間関係の秘密がある。

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