ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 3/6

2011-03-15 20:52:40 | ローズンゲン
3月6日(日)
正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し、わたしの恵みの業が現れるのは間近い。(イザヤ56:1)
義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブ3:18)
私の黙想
間近に迫る「わたし(神)の恵み」の光に照らされて、私たちの正義と恵みの業(福祉=隣人愛)が実行できる。その逆ではない。今週の水曜日は大斎始日。今年の復活祭は4月24日。神の恵みの光は目の前だ。大斎節を有意義にすごそう。

3月7日(月)
わたしは閉じ込められて、出られません。苦悩に目は衰え、来る日も来る日も、主よ、あなたを呼びます。(詩88:9-10)
キリストの言葉:主の霊がわたしの上におられる。捕らわれている人を解放するため、油を注がれたのである。(ルカ4:18)
私の黙想
ニュージランド地震での生存者の探索が終了された。その後日本人一人の遺体が発見された。瓦礫の中で人生を終えた人びと最後の祈りを思う。彼らの最後の祈りは神の前に尊い。

3月08日(火)
主はわたしを厳しく懲らしめられたが、死に渡すことはなさらなかった。(詩118:18)
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(ロマ5:3-4)
私の黙想
中学の時の国語の教師が「わたしは怒っているのではない。叱っているのです」とよく言っていたことを思い出す。この教師の名前も忘れてしまったが、この教師が本を読むとき「分段」に区切って理解することを教えてくれた。これがその後の人生での読書で非常に役立っている。

3月9日(水)
わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く、御恵みのために、主よ、わたしを御心に留めてください。(詩25:7) 
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。(ルカ19:10)
私の黙想
「若いときの罪」、いろいろ思い当たる。思い出すのも嫌だ。しかし、それらがすべて現在の私を形成しているの事実である。

3月10日(木)
この神は生ける神、世々にいまし、その主権は滅びることなく、その支配は永遠。(ダニエル6:27)
神は、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。(エフェソ1:22)
私の黙想
「生ける神」という表現は聖書では26回用いられている(新共同訳)。独特の響きをもつ。生きて活動している神。対するは偶像、観念の神。ニュアンスとしては人間が作った神ではないというところに重点がかかっている。人間の理解を超えた神。

3月11日(金)
見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。(ハバクク2:4)
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:29)
私の黙想
パウロはロマ1:17でハバククのこのテキストを引用して信仰による義認論を展開している。私は18歳の時、このテキストに基づいて初めて「神学的?」な文章を書いた。あの頃の幼稚な私を思い出す。文語訳では「義人は信仰によりて生くべし」。テキストの迫力が違う。

3月12日(土)
母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める。(イザヤ66:13)
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ14:18-19)
私の黙想
今朝もローズンゲンの言葉を読みました。荒廃したエルサレムの復興を約束した神の慰めの言葉です。今こそ「和」の精神を生かし、お互いに助け合い、励まし合いましょう。日本国民は必ずこの災害を克服できます。世界中の人びとが見守り、祈ってくれています。


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