ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

「まわし」の魅力

2008-03-10 16:16:42 | ときのまにまに
相撲の「まわし」は不思議な服装である。「まわし」しか身に付けていないのに、少しも「裸」を感じさせない。「まわし」という服装には不思議な「完成感」がある。もし、力士がまわし以外のユニフォームを着用していたら、相撲にこれほどの魅力があっただろうか。ある人が、「相撲のおもしろさは、ただ単に強ければそれでいいというものではなく、まわし一つで何一つ隠し立てなくみんなの前で堂々と戦う力士の潔さにある」という主旨のことを語っていた。成る程、同感である。
わたしはこれまで、まわしはそれを付けている力士自身が力を発揮するための装具だと思っていた。もち論、その意味もあるだろう。しかし、実際に相撲を取っている力士の姿を見ると、実はまわしは本人のためというよりも、相手のためにあると思う。もし、仮にまわしを着けていない力士と着けている力士とが戦った場合、どちらの方が有利なのかということを考えれば明白である。断然、まわしを付けている方が不利である。まわしを着けていない相手に対しては、攻め口が少なくなる。相手のまわしを掴んで、相手を責め、自分自身を守る拠り所とする。その意味で、「ゆるふん」というような卑怯な作戦もあるらしい。土俵際などでは、相手のまわしを掴んでいるから踏ん張り、「うっちゃり」という手も出せるのである。
とすると、まわしは相手に対してこちらの弱みをさらけ出していることになる。もちろんこれは同じようにまわしを着けているのだから対等ではあるが。ここにギリシャで始まったレスリングや、モンゴル相撲などには見られない日本相撲の独特の美しさがある。それにしても、土俵に上がる力士が付けているサポーターやテープは見苦しい。相撲の究極の目的は「美」の実現でなければならない。それは横綱の土俵入り」だけで示されるものではなく、一つ一つの取り組みにおいて求めらっれるものである。 

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