<福島民友ニュースより>
浪江町立津島小が4月から再開へ 原発事故で臨時休業
浪江町教委は26日までに、原発事故に伴い臨時休業となっている町立津島小を4月から二本松市で再開することを決めた。避難先の福島市に区域外通学している新2年生、5年生、6年生の3人が転入し、校舎は浪江小が授業を行っている二本松市の旧下川崎小を活用する。
浪江町には浪江、津島両小を含め小学校が6校、中学校が3校ある。2011(平成23)年8月に役場機能を移した二本松市の旧下川崎小と旧針道小の校舎を活用し、浪江小と浪江中を再開させたが、残りの7校は依然休業が続いている。
町教委は「休業状態がこれ以上続くと学校の再開は困難となる。できる限り多くの子どもたちに浪江町の教育を受けさせることが町の復興にもつながる」として今後、転入希望者がいれば、浪江小、浪江中の校舎に並置する形で各小、中学校を順次再開させていきたい考え。
(2014年2月27日 福島民友ニュース)
*昨日の町教育委員会定例会で決定したようです。
複雑な心境ですが、今後も町教育行政については教育長と議論していきたいと思います。
私は学生ではなく、小学生高校生の子を持つ親です。
どこに避難しようが、それは皆さん自由だと思います。
浪江町に今、住めない状況は変わらないのですから。
ただ、親や政治家は子供達の将来を奪うような導き方はすべきではありません。
放射能に関して人それぞれ認識が違うのも構いません。
が、将来、取り返しのつかない事態になったら、誰がどう責任を取るのでしょうか?
責任を取る取らないではなく、ただ後悔するしかありません。
身内で震災の年に生まれた赤ちゃん、指多くありました。
私は放射能のせいだと思っています。
いわき市は空きアパートがなく、色々と問題がおきています。
浪江からいわきに避難しているのであれば、住民票移して、いわき市に税金払うべきだと思います。
浪江町の仮設はありませんし。
仕事上住まないとならない人はともかく、です。
仕事して収入あれば、もちろん税金納める事になりますが、浪江町に納めるために働くのもなんだかなぁ。
私達は難民と同じですよね。
出たところが国ではなく、町ですが。
受け入れてくれるところに住むしかないでしょうし、受け入れてもらうためにどうするか、考えなくてはなりません。
権利ばかり主張するのは違います。
義務も果たさないと。
将来、年金生活(←私にそんな時代は来るのでしょうか?)でもできるようになったら、浪江町に帰りたいと思います、生活という意味で。
子供や孫(いれば)が帰りたいと言っても、震災前と同じレベルの線量にならないと認めたくありません。
震災時、浪江町の防災無線で津波警報が流れた時間を皆さんご存知ですか?
16:30頃です。
完全に津波が来てからなのです。
津波が来る事は、地震直後からラジオで流れていました。
防災無線、遅すぎなんです。
私は一番早く浪中に避難しました。
まだ先生方がいらっしゃいましたが。
避難を呼びかけられたからではなく、自主的にです。
これは私一個人の意見、思いです。
最終的判断はそれぞれの個人です。
とりわけ取り返しのつかなくなることに関しては、周りの意見で決める事ではありません。
山崎先生も(私もそろばん習ってました)選挙権のない私の意見よりも、選挙権のある住民票上の住人の意見を尊重された方がいいかと思います。
ただ、それって目先の自分の利益しか考えてないようにも見えます。
本当に将来の浪江町をどうしたいのか、どう動くのか?
期待しているのでブログを読ませていただいてますし、コメントいたします。
出来れば九州、沖縄に避難が理想です。
震災後すぐは福島市や郡山市よりは低かったことと、転校特に高校生は学校を簡単に変えることができなかったため、東京で暮らしています。
会津の方ならと思うかもしれませんが、雪だったり浪江までの時間的距離だったり、色々理由はあります。
福島県内で避難生活をする人を否定するつもりはありません。
ただ、学校を再開する意味がわからないだけですよ6578。