<5月15日産経新聞より>
震災後も浪江は「自慢の故郷」 事業再開へ…4代目社長の決意
商品の材木はバラバラに崩れたまま。しかし、製材機には、大きな傷はない。福島県浪江町で大正6年から続く「阿久津材木店」。4代目社長、阿久津裕司さん(42)は12日、再開への下見も兼ねて久しぶりに工場に入った。そして、製材機を見つめ、こう語り始めた。「これは、ひいじいさんの代から受け継いでいる宝物。この音を聞いて育った。もう一度、製材の音を響かせたい」
工場のある権現堂(ごんげんどう)地区は4月、東京電力福島第1原発事故による警戒区域の再編で、避難指示解除準備区域に指定された。製造業など居住者を対象にしない事業が可能になったが、事業を再開した人はいない。町商工会のアンケートでは、町外で事業を再開した人の4割が浪江での事業を「行う考えがない」と答えた。
震災で浪江を後にし、平成23年7月に福島県相馬市で材木店を再開したが、そこに製材機はない。阿久津さんは、浪江で事業を再開する「第1号」になろうと決めている。
「先駆者がいれば、みんな様子を見に来る。成功していると知れば、後に続こうとする。だから、先陣を切るんだ」
震災の翌朝、追い立てられるように避難した後も、浪江で事業を再開する決意は揺らぐことがなかった。両親と妻、高校3年、小学6年の2人の息子を避難先の東京に残し、単身相馬で事業を再開したのも「近くで事業を軌道に乗せておけば、浪江に戻りやすい」と考えたからだ。
相馬に新工場の用地を確保し、新たな一歩を踏み出そうとした23年5月、兄=当時(45)=が避難先で急逝した。大切な兄と、浪江での仕事を奪った震災。「でも、震災と原発事故のせいで人生が変わったとは思いたくない。震災前以上のものを手にしたい」
葬儀を終えると、相馬に戻って工場予定地の草むしりをした。事業再開後は、寝る間も惜しんで仕事に打ち込んだ。「原発事故で死ぬ思いをしたんだ。もう怖いものはない」と自身を奮い立たせた。
今年3月、東京で暮らす2人の息子が「おれはいつか、浪江に戻る」と言った。親子でそういう話をしたことがなかったので驚いたが、徐々にうれしさが込み上げてきた。
「自分の背中を見ていてくれたんだ」
工場を出て、車で町を走った。メーンストリートに残る倒壊したままの家屋、打ち上げられた漁船の周囲に高々と生い茂る草。震災直後と変わらない町の姿に、怒りが込み上げる。
自身も損壊した自宅や事務所を建て替えて事業を再開するつもりだが、がれきの仮置き場が決まらず、動き出せないでいる。「町や国は復興への意欲がある人の動きをどうして止めてしまうのか。時間がたてば、町へ帰ることをあきらめる人は増える一方だ」
そう話す表情がふとやわらいだ場所がある。町を流れる高瀬川。のぞき込むと、澄んだ水の中に魚影がゆらゆらと見える。
「間もなくアユが上ってきて川がきらきらと輝く。高瀬川のアユは日本一。山で採れるマツタケは絶品だし、海では何でも釣れる」
満面の笑みが広がった。震災後も、浪江が「自慢の故郷」であることは変わらない。
「放射能の心配がなくなれば浪江に住みたいという人はいる。そして、お祭りや伝統行事を復活させる。帰りたくなる町を作れば、みんな戻ってくると思う」
そして阿久津さんはこう続けた。「故郷って、そんなに軽いものではない。簡単にあきらめられるほど、故郷は軽くない」
*以前、相馬工場へ伺い、再開にあたっての苦労話など被災後の様々な話を阿久津社長から聞きましたが、4代目ではなく「起業家」の阿久津社長とその時感じたことを、この記事を読み思い出しました。
「浪江町の復興」を考えている若き社長を後押しするのは、「私たち議員の責務である」と肝に銘じました。
まして若年層が帰還できない地区、御家族を避難させての事業再開にどれほどの価値があるのか疑問は尽きません。
森を見ながらも樹の一つ一つを見ることも大事ですよ。
貴方の使命はいま本音で浪江を語ることです。
建前論には辟易します。
こういう人がいるから迷惑なんですよね。
何も知らないというか・・・。
放射能汚染はまだ完結していません。除染といっているが名ばかりのゼネコンへの金配り。
道路以外で使えるお金が出来てラッキー程度しか政治家は思っていません。
割れた皿は元に戻らないように一度汚染された浪江町は昔のようには戻れません。
戻れたとしても何十年、何百年掛かるかわかりません。
「先駆者がいれば、みんな様子を見に来る。成功していると知れば、後に続こうとする。だから、先陣を切るんだ」
他の浪江町人に迷惑をかけないでほしいですね。
私は除染は無駄だと断定します。
元のようにならない場所での事業再開は一時的な復興関連では可能かもしれませんね。
「浪江に戻ろう」って前提が間違ってます。
あそこは、数世代は普通の生活出来ない場所になったんですよ。
私がきれいごと言いながら何を勝手なことを言っているんだと言ったのは
「阿久津材木店」。4代目社お社長、阿久津裕司さんのコメントに対してです。
私も町民さんの意見と同じです。