HIRO-P'S ROOM

撮影場所:富山県 相倉合掌集落 2024年11月

安芸灘 とびしま海道をゆく PART5

2011-12-30 22:57:39 | バイクロングツーリング


PART5 船旅

ルート:岡村港~(今治市営フェリー)~今治港→(R196)→今治湯ノ浦IC→(今治小松道・松山道・徳島道)→徳島IC→徳島港
~(南海フェリー)→和歌山港→和歌山IC→(阪和道・南阪奈道・大和高田バイパス)→自宅
2日目走行距離:317km







 「安芸灘とびしま海道」は四国の今治市が最終目的地となっているが、この岡村島から先は橋がかかっておらず、航路での連絡となる。航路は、フェリーと旅客船があり、フェリーは1日4往復、旅客船は1日2往復。ボクが乗船したフェリーは、岡村港9:55発の1日1便しかない下大下島と大下島に立ち寄らないノンストップ便。今治港まで1時間の船旅である。ちなみに岡村港発は6:50、9:55、13:10、16:15の1日4便(H23.5.5現在)。9:55発を乗り遅れると13:10まで無いので、乗り遅れるわけにはいかない。ちょっと今日は出発から駆け足になってしまったのは、こういった事情があった。
 このフェリーは今治市の市営フェリー。使い勝手のいい時間帯からか満員で、後ろ甲板しか空いておらず、そこから瀬戸内海の潮風を浴びることにした。



 ちょうど同じ時間帯に岡村港を1隻の小さな船が出航した。後で調べてみたら、岡村港10:00発大下港行きの旅客船で、先に紹介した今治行きの旅客船には、これが使われているよう。今治港までフェリー1時間に対して、この旅客船は35分で結ぶ。モーターボートを少し大きくしたくらいの旅客船の船旅も面白そうなので、一度乗ってみたいと思った。







 この航路、後半に「しまなみ海道」の「来島海峡大橋」をくくる。フェリーといっても小型船なので、この橋をくくる時は結構な迫力。「安芸灘とびしま海道」の最後のハイライトといえそうだ。



 もうすぐ四国。ちいさなフェリーなので、車輛甲板もぎっしり車で埋まっていた。



 今治港到着。「安芸灘とびしま海道」の終点。「安芸灘とびしま海道」は、まだまだ無名のルートだけど、「しまなみ海道」と比べると瀬戸内海ローカルが味わえた。「しまなみ海道」も島と島が橋で繋がる前は、こんな感じだったのかもしれない。今や小さなフェリーや船が島々を結ぶ地域も数が少なくなってきた。確かに橋ができれば、移動時間が短縮され便利になるけど、たまにはこんな島々を巡るのんびり旅もいいと思った。

 今治からは高速道路を使って、徳島を目指す。今や四国は高速道路が整備され、それを使うと一気に移動ができて便利。何か↑で行っていることと正反対のことを言っている気がするけど、これは本当の話。徳島からは南海フェリーで和歌山に渡り、奈良へ帰る。まぁこの時は高速1,000円の時代だから、瀬戸大橋か明石海峡大橋で帰れば、金銭的には安上がり。でもG.W.最終日の渋滞が嫌でこのルートを選んだ次第。



 今治から途中、石鎚山SAで昼食を取り、徳島まで走る。徳島港到着は15時過ぎ。いつも乗る16:35発のフェリーは、すでに多くのバイクが順番待ちしていた。ちなみに車は予約制でこのフェリーは満席だったけど、バイクは予約不要で乗れるのがこの航路のいいところ。↑の写真で先頭にいるのは、珍しいピザ屋さんがよく使う、ホンダの「ジャイロ」という3輪原付スクーターのツーリング仕様。後ろのハーレーと迫力では負けていない(?)。ホワイト仕様のなかなかほのぼのとした感じのバイクだった。





 15:50和歌山からのフェリーが到着。作業員の方の接岸作業を間近に見る。このフェリーは、先ほど乗った今治市営のフェリーと比べれば一回りも二回りも大きなフェリー。今まで幾度とこの航路を利用してきて、バイクは車より先だと思っていたのに、今回は台数が多かったせいか、①バイク→②車→③バイクの順となった。ボクは最後の③のグループで乗船となってしまい、客室内入れず、またもや甲板で潮風を浴びることになってしまった・・・今治市営のフェリーは瀬戸内海の島々を眺める1時間の船旅だからいいようなものの、南海フェリーは、和歌山港まで2時間、紀淡海峡に入れば単調な海原しか広がらないから、これはきつかった。まぁ天気が良くて、淡路島に沈む夕日がキレイだったからよしとするか。
和歌山からは日もどっぷり暮れ、和歌山ICから阪和道→南阪奈道の順で帰ってきた。この区間だと渋滞にかかることはない。今回も無事帰ってくることができた。




 徳島港出航時に撮った写真。平成23年もこの記事が最後になります。毎度毎度のことだけど、1年過ぎるのがあっという間に感じます。今年は震災があって、原発事故があった年でした。3.11の信じられない映像は今でも忘れられません。あの地震は、遠く700km離れたボクの住む奈良でも揺れを感じたそうです(ボクはビルの1階で気付きませんでしたが)。9月に襲った紀伊半島の豪雨。ボクもよくツーリングに出かけていたR168沿線の町村も被害を受けました。なんだか今年は、災害に脅えた年だったのかもしれません。今年の漢字は、「絆」が選ばれたそうです。言われてみれば、最近「コミュニケーション」を取るのが下手になってきたなぁと感じることがあります。結構あの時、ちょっと伝えてあげればうまいこと行ったかもしれないとか、謝っておけばうまくいったのにと、思うこともしばしば。まぁそれは時代のせい、不景気のせいと言う人もいると思いますが、結局は自分のせいだと思います。そう、もっと自己責任を自覚して、来年は笑って過ごせるような年にしたいものです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。