東北旅行のブログアップも終わらぬ中、9~10日にかけて台風18号は栃木県、茨城県に大きな被害をもたらしました。 そう思っているうちになんと先日訪ねた仙台までもが被害にあっています。
これ以上被害が大きくなりませんように。 皆様には心からお見舞い申し上げます。

2015年9月6日(日)
9月5日~6日で仙台、石巻、女川を巡る東北復興応援ツアーに出かけてきました。
「#1」の続きです。
さて。 北上川沿いの震災被害が大きかった地区の中にも明るい火を灯したような話題がありました。 新上北大橋からもほど近い場所にある
「釣石神社」で見られる巨石です。
下にある石が女の神様。 上に釣られたような石が男の神様。 夫婦のようにいらっしゃることから「縁結び」「子孫繁栄」などにご利益があるとも言われています。
が、この神社のご神体が天児屋根命(あめのこやねのみこと)、そもそも知恵の神様、学業の神様でいらっしゃること、そしてこの釣り石が「落ちそうで落ちない」という事から多くの受験生の聖地となっているのだそうです。
また、こちらの神社では12月中旬に北上川で採れるヨシで大きな葦の輪を作り、本殿に向かう階段の一番下に飾ります。 それをくぐってお参りすることで、「ヨシ! 合格!」となおさらおめでたい気持ちになるそうですよ。
これらの石は先の震災でも被害はなく、特に釣り石はあの地震でも津波でも落ちなかった、という事で受験生への人気は高まるばかりだそうです。 今回私たちのツアーは全員が学生に勉強を教える講師たちでしたから、ここでのお参り、石の撮影、そしてお守りの購入には余念がありませんでした!w

けれど
この近辺の集落の被害ももちろんとても大きかったようで。。。今後は以前のようにこの近辺に住宅が建つことは無いようです。 が記事の中では自然豊かな公園地区になり、みんなが訪れてくれれば、と言っています。
長年暮らしてきた家が無くなる、町が無くなるってどういうことだろう。 本当に寂しく悲しい気持ちだろう、と思います。 けれどそれを乗り越えて新たに進もうと頑張っている人達ばかりです。 特別なことはできないけど、自分も忘れずに何かしてゆきたい、そんな気持ちになります。

本殿に向かう階段は結構な急斜ですよ。 階段の色が変わった少し上、左側に小さな看板がありますが、震災の時はそこまで水が上がったのだそうです。

釣石神社参拝を終え、次に向かったのは石巻市雄勝町の
「おがつ店こ屋街」(おがつたなこやがい)です。 旧雄勝総合支所前にプレハブで作られた、11店舗が入った2階建ての商店街です。
旅行前にこのような復興市場(商店街)を調べていて気付いたことがありました。 最初、私はこのような市場は災害を受けた地元の人たち、地域のためにお金を集めるため、観光客を呼ぶように作られた地産品のお土産市場だと思っていたのですが、そうではありませんでした。
このプレハブ商店街に入っているお店はもともと震災前にこの近所で営業していたお店ばかりです。 なのでお土産屋さんのようなお店ではなく、食品店、食堂、牛乳屋さん、自動車整備販売会社など、地元の人々が利用するようなお店が入っているのです。 もちろんたくさんの観光客が来ることから、お土産になるような物を置いているお店もあります。 けれど、家もお店も流されてしまった方々が、近くに住む人々が不自由のないようにと、このプレハブのお店で引き続き商売を頑張っている姿に心を打たれました。

かつてはこの海沿いの道路におうちやお店がぎっしりと並んでいたのです。 何もなく草など生えているとのどかな風景のような気がしてしまうのです。 が、本来はここにずらっと建物が並び人々が行きかっていたのだと頭の中で想像すると、何も無くなってしまったこの土地が急にさみしいものに思えてきます。
そして4年もたってから来た私は、恐らくここにがれきと化し山となって崩れた家や車や、そんな物を見ていないので実際の悲惨さはわからないのです。 きっと。 それでも何もなくなっているこの土地に思いをはせ、少しでもその悲しみを感じようと思うのです。
山側の土地が削られているのは、今後高台に新たな町を作るための工事中なのだそうです。 4年たってようやく土地の造成中です。 新しい街ができればそこに家やお店ができ、この「おがつ店こ屋街」はお役御免となります。

ここで私たちはお昼ご飯をいただきました。 「親方おまかせ海鮮丼」です。 美味しかったですよ~!
お昼ごはんを食べ終わってからは、浜の奥さまたちが作った小物や、海藻各種で作られたふりかけ、とろろこぶ、硯石で有名なこの地区ならではの硯石のお皿やアクセサリーなどをお土産に購入し、雄勝を後にしました。

雄勝から入り組んだ海沿いの山道を走り、女川町に向かいました。 まずは「復興まちづくり情報交流館」で震災被害の様子、今後の街づくりについて学びます。
ここで女川町の「語り部」さんがバスに乗り、主に新しく出来上がった素晴らしい女川駅を中心にお話をしてくれました。
町は以前テレビや写真で見た衝撃的な状態からは大きく進歩し、ゴミもがれきも見えない、新しい街づくりのためにきれいに平らに整えられた土地が目立ちました。

が、その中にひとつだけ震災当時のまま残された横倒しの建物があります。 旧女川町交番です。
震災直後、完全に横倒しになったビルは6棟ありました。 「震災被害を忘れてはならない」とそれら建物の保存を望んだ人たちもいましたが、それ以上に「その建物を見ると悲しさや辛さしか湧いてこないので、早く撤去をしてほしい」という声が多く、この旧女川町交番を残し他の建物は撤去されました。 「震災前」→「震災直後」→「近年」と比較された写真を見ると、それ以外のほとんどの建物も撤去されたようです。
そうして何もなくして整備された土地にさらに土を入れ嵩上げ(かさあげ)し、女川町は震災に強い新しい街に生まれ変わるのです。 最大高くなる土地は以前より10mも高くなるそうですが、女川町はその工事がどんどん進んでいます。
さらには水産業の設備も充実してきて、先日は
サンマの初水揚げのニュースもありました。
今年3月に再開された女川駅です。 これで石巻線全線が開通しました。 とてもきれいでかわいい女川駅にはお土産屋さんや温泉施設も併設されています。 ここで語り部さんから300馬力の金券をいただきました。w これは女川駅の売店、きぼうの鐘商店街などで使う事が出来ます。 100馬力=100円のレートです。

駅展望台から海方向を見ています。 海に向かってまっすぐに延びる歩道の両脇にはお土産屋さんなどの商店が並ぶそうです。 現在ある復興商店街のお店がここに入ることになり、そうなると雄勝のように復興商店街は役目を終えるのです。

立派な駅舎の割に、線路は単線でホームもひとつ、改札もなく「あれ?」って感じのギャップが良いです。w

駅舎の屋根の形はウミネコが羽ばたく様子をイメージしているのだそうですよ。
語り部さんからは涙なくしては聞けないような話を延々と語られるのかと思っていましたが、それ以上に現在の街の復興の様子、今後の発展について熱く語られていて、既に前を向いて進んでいる姿勢を感じました。 お若い語り部さんでしたしね。
けれどその語り部さんが何もない平らな土地を指さして「あのツタが張ったコンクリの壁の所の土地にうちがあったんですよ。」とおっしゃった時には正直泣きそうになりました。

語り部さんとお別れして来たのが
「きぼうの鐘商店街」です。 こちらは女川町の3つの商店街からの商店が約50店舗も集まった最大級の復興商店街となっています。 がそろそろ自分のお店を構える店主さん達も出てきたのか、お店はあまり開いていませんでした。
名前にもなっている「きぼうの鐘」とは、震災前のJR女川駅にあったからくり時計、全部で4つの鐘があったそうですが、そのうちのひとつだけが震災後がれき撤去の際に見つかり、それを「きぼうの鐘」として商店街の一角に飾ってあるためです。
今年3月には
イギリスのウィリアム王子が石巻、女川を訪れ、このきぼうの鐘を鳴らしたそうです。
その際ウィリアム王子は鐘を「カン、カン、カン」と3回鳴らしたことから、人々はその鳴らし方を「ウィリアム叩き」と呼び後世に伝えたんだそうじゃ。w 私も3回叩かせていただきました。

きぼうの鐘商店街でお買い物をした後は女川のかまぼこ名店
「政」さんへ向かいます。 政さんではまず工場見学、そしてできたてかまぼこを自分で焼いて試食。 その後お買いもの、です。 おいしいんですよ~!
政さんのかまぼこ、食べたことないと言う人はセブンイレブンのおでんを食べてください! 練り物の原料は政さんの物だそうですよ~。 店舗数は少ないですが、各地デパートなどで特設販売などもしているそうです!
政さんは幸い津波の被害にはあわなかったそうです。 が当時出荷しようと生産して出荷できなかったかまぼこを避難所の人々に配布し、「命のかまぼこ」と呼ばれたそうです。 政さんの社屋壁には「がんばっぺ女川! 負げねーど宮城! おだづなよ津波!」と書かれてありました。 「おだづなよ」とは「ばかにすんなよ!」のような意味だそうです。

バスは18:30着予定の所、18:00には仙台駅に到着しました。 私たちは渋滞などあると困ると思い、余裕のある時間の新幹線を予約しておいたので、ゆっくり夕食を食べることができました。 仙台と言えばもちろん厚切り牛タン! おいしかったなぁ~。
たくさんの美味しい物も食べ、楽しみ、そして色々な物を見て、考えてきました。
何しろ思う事は国がしっかり動いて、大きな組織が大きな構想で働いてくれなければ良くなっては行かないだろう、ということ。 けど、だからと言って個人が何もしなくて良いだろうか、と。
こういう大きな被害を見るにつけ「自分に何もできるわけがない」と無力感ばかりを感じてしまうのです。 けれど、踏み出さなければ、やってみなければ、それはいつまでたってもゼロだということは明らか。
やれることは人それぞれ違うし、今やれない人もいるでしょう。 が、どんな小さなことでも、困っている人がいる時に関わることは大切だと思うのです。
それは、全員がこの震災のことばかりを考えるべきだと言うのではなく、今回の鬼怒川の件をほおっておけない人もいるでしょう。 未だ阪神淡路の震災にかかわっている人もいるでしょう。 全てに携わることなど到底無理なので、自分が思う所に、自分のできることをまず始めるのがいいだろう、と思うこのごろです。
私はまた東北には行きたいな、と思っています。 また復興バスにのるかどうかはわかりません。 が、カキの食べ放題に行ってみたいし、
「みちのく潮騒トレイル」を歩いてみたい気もする。
青森にアイスホッケーを見にも行きたいし、先日行った秋田駒ケ岳も再訪したい。 それ以外の山も既に行きたい所がいくつかあるんだ。 福島にはもう随分行っていると思うよ。
そんな風に無理なく自分も楽しみながら東北支援の一助になれば良いな、と思う事と、時にはもう少し深く支援らしい支援ができると良いな、とこれからも考えてゆきたいと思います。
忘れることなく長く続けることが、一番大切だろうと思っています。