1964年のたぶん湯滝前
先日大谷の古い写真を探した時に、アルバムから日光の写真も見つけました。 アルバムに貼られた写真は時系列がバラバラなようで、どこがどこやら、見当が付かないものもいくつか。 山や滝の形はそんなに変わっていないだろうになぁ。。。などと思っていました。
とりあえず上の写真。 左端の白いコート(かどうかわかりませんが)が私の母。 子供を抱いている男の人が不信心な父。w その子供が私。 間にいる背の高い方の着物の女性が父の母、つまり私のおばあちゃん。 あとの人は親戚など。 いやぁ~、おばあちゃん、懐かしいわ~。(おばあちゃん、だよな?) 奥日光旅行で着物だよ~。w たぶんこれも父の会社の社員旅行なんですよね。
これが親子水入らずの写真。 もう一人大きな子は姉。 ここで。 「どこの滝だろう?」と思ったのです。 滝の中央に大きな木。 テラスのような所で。。。竜頭? いや~、この流れは湯滝だよなぁ。。。中央に木、あったっけ? 無いのです。。。
いや、あったのです!! それを解明してくれたのがトレッキングさんのエントリー「奥日光の思ひ出」でした! いやぁ~、ビックリしました!
トレッキングさんのお写真より10年ほど前の湯滝の姿です。 トレッキングさんのブログに寄ると、この木は1987年に流されてしまったのだそうです。 ようやくわかりました。 ありがとうございます!
それにしても違う場所で育った私たちが、こうして昔々に同じ場所で写真を撮り、この歳になってお友達になり、なぜかお互い古い写真を見て、そんなことから疑問を解決できて、なんか不思議なご縁ですね~!
さて。 疑問はまだ続きます。 このテラスのような場所。 どこなのでしょう?
ここが湯滝の観爆台だったのでしょうか。
近くにこの写真があり、「これこそ竜頭の(向かって)右側の滝?」
「ならば今の竜頭のお茶屋さんがこのような(一枚上のような)観爆台だったのかしら?」と想像する。
違うかな? やっぱり一枚上の写真は湯滝の観爆台でしょうか。
でも、そうしたらどこから撮った?
で、これは本当に竜頭の滝なんでしょうかね?
一緒に左側の滝も写っていれば確信も持てるのですが、
左側の滝の写真(らしき)が一枚もないし、随分奥の方まで見えるので、疑問なのです。
でも、トレッキングさんのお写真、奥さまがお子さん達を抱いて写っているもの、の後方の竜頭滝にそっくりですよね。
こちらは中禅寺湖畔みたいです。
今のボートハウスの近くからの眺めでしょうか。
これも中禅寺湖らしいです。 この当時でも遊覧船がたくさんあったのですね。
そしていろは坂でしょうね。
もしかして下の建物は女人堂?
結構車が走っていますね。
ここには傘をさしている写真が無いですが、
雨が降っていたみたいです。
こちらが宿泊した旅館のようですが、
「日光 吉忠」で検索しても出てきません。
まぁ、日光かどうかも不明なのですが。
最後に輪王寺さん、三仏堂前。
輪王寺さんにしたらほんのちょっと前の事でしょう。
平成の大修理もあと3年ほどで終了ですねぇ。 長いと思ったけど、早いなぁ。
写真の順番が大体あっていれば、沼田から入って日光に抜けたのかな、という気がします。 ただ途中途中に東照宮らしい写真があったりして、良く判らないのです。w
母もあまりよく覚えていないのですよね。 バスを借りて社員旅行をしたみたいで、自分で行かないとあまり記憶に残らないのでしょうね。
古い写真をひっくり返して懐かしんだり、楽しかったりするなんて、人生後半を迎えているから、という気がしてしまいます。(苦笑
「後半」といっても半分より少ないだろうけどw、まだまだ頑張るよ~!w もう○十年先の奥日光も撮るからねぇ~。w
自分にも小さい時があったんだなぁ、って結構ビックリしたりw、
ついちょっと前のような気がしたり。(ぇw
ふぃふぁさんの所で少し日光の路面電車の写真を見ましたが、
もっと見てみたいなぁ。
もっと街中を走っている路面電車の写真や、
馬返しからのケーブルカーの写真。
まぁ、探したことも無いのですが。(苦笑
そのうち探してみるか。
それはどうしてだろう?w
「画格」でなく「画角」が正解でしたね。
私も間違えていました。
あまり良く判らないのですが、
フルサイズで覗くと50mmが人間の目で見た感じと近いのでしたっけ?
私は覗いたことがないからわからないですが。
人間の目は都合が良いですからねぇ。
私の小さい時、父親の会社の寮があった千葉と、田舎の岩手しか行った記憶がない、なので、日光に初めて来たのは多分19歳くらいの頃でしょうか、ちょっと事件があったので、よく覚えています。夫は駅から路面電車にも乗り、ケーブルカーにも乗り、明智平からはバスだったんだぜ!といつも自慢しますが、どれだけご先祖様なんだ!ってね。
湯滝の木の謎が、解けましたね。すごいすごい!それに一本しかなかったいろは坂、貴重な写真。
いいなぁ、セピア色の写真って。間違いなく、私も人生後半だわ(≧∇≦)
写真を見たとき解りました。
それなのでどの写真も50mmの画格です。
私の奥日光の写真小さいカメラでも50mmの画格です。
昔カメラのレンズは、50mmが人間の目で見た画格と同じと言われ50mm単焦点が標準レンズでした。
オリンパスの26mmとか言ってもフィルムをハーフサイズで使っていたので実際には52mmの画格でした。
その後、コンパクトカメラで35mmが出て来ました(キャノンオートボーイ大人気でした)持ってました。
28mmとか24mmの広角レンズが標準レンズに成ったのは最近でしょう。
いろは坂、ちょうど工事中だったのですね。
湯滝の謎が解けました!w
そしてテラスは湯滝の観爆台なのですね。
最新の湯滝観爆台はまだ見ていないのですが、
前の観爆台は、川の方へは下りられましたよね。
竜頭の滝も良く判りました。
なぜかわかりませんが、左の方の滝の写真が一枚も無いのです。
もちろん両方が一緒に写ったものも。
カメラの画格が狭かったのかなぁ。
竜頭の滝からイロハへはノンストップで下りてしまったのかもしれませんね。
イロハの一枚目の写真に車が写っていないのはたまたま?
2枚目が対面通行なのは、この当時まだ第二イロハはないんですよ~。
第二イロハは1963年に工事開始、1965年に工事終了、そして第一、第二イロハともに有料道路になったそうです。
ということは、この写真の頃第二いろは坂が工事中だったんだ~。
湯滝に大木が生えた写真が有りましたね。
今まで言葉で湯滝に生えていた木の事を話しても誰も解って頂けませんでした。
これで完全に証明されました!
家族揃って良い写真ですね。
テラスのような場所で写っている写真の場所は湯滝です。
以前は滝壺まで下りて行けました(皆んが下りて自然に出来た滝壺遊歩道)滝壺に下りる中間地点からのショットです。
>、「これこそ竜頭の(向かって)右側の滝?」
この写真も竜頭の滝、右側の滝の流れです。
岩が特徴的なので竜頭の滝右側と確認出来ます。
参考写真
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-87-c1/ngn0ngn/folder/429411/83/7257983/img_69?1450239064
中禅寺湖からいろは坂の写真はバスの車窓からだと思いますが不思議です。
■いろは坂の写真
1枚目のいろは坂の写真は車が一台も写っていないのに2枚目の写真は車がいっぱい写っています。
■しかも、写真右手前のバスのテールからバスが登って来ています。
写真奥のボンネットバスはこちらに向かっているのからもこの日のいろは坂は、対面通行だったのでしょうか
どちらかの、いろは坂が何らかのトラブルが有って対面通行だったとすると車の通行が多く印象に残ったのでモノクロ当時12枚しか写せない貴重なフイルムのシャッター押したのも想像出来ます。
※行きと帰りのバスの車窓からのいろは坂の違いが見えて来ます。
華厳の崖!ww
華はなくとも、厳はある、みたいな。w
貨物用みたいなのに!
華厳の滝で水のない華厳の崖を見た人は少ない!
やっぱり姉の写真の方が多いのですが、w
見ると面白いですね。
私はもちろんこの時の記憶は皆無です。
華厳の滝。。。そう言えばこの画像sの中にはなかったなぁ。
エレベーターいつできたんだろ?
・・・と調べたら。。。
1930年(昭和5年)開業!!?
85年前!!? マジかーっ!!
って、じゃ、晴れ夫さんは5歳の時、華厳の滝エレベーターに乗っているのでしょうか?
水不足!(^o^;
その分、今たくさん見れて良かったね。。。w
うちは写真を撮るような親ではなかったので・・・
でも5歳くらいの時家族で華厳の滝に行きましたよ~~~
小学校で行ったときは華厳の滝・・・水不足で落ちてなかった・・・