散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

最後の織田信長

2017年09月02日 | ドラマ
最後の織田信長。

変な題名ですが、大河ドラマで最後に「信長がきちんと描かれたのはいつが最後か」というような意味です。

主人公としては「信長、キングオブジバング」。1992年が最後ですね。25年もたっています。

「真田丸」ではほぼ登場しません。一度だけ出ます。魔王みたいな威圧感満点の信長ですが、登場してすぐ本能寺です。

本能寺のシーンも描かれず、鎧が焼けるというイメージ映像になっていました。

その前は軍師官兵衛。江口洋介さん。あまり存在感はなかった。

その前は「江」で豊川悦司さん。豊川さんは好きですが、いちいち自分の行動を弁解しているだけの(浅井長政の「しゃれこうべ」を金の盃にしたなんてありえないとか)、最低の信長でした。豊川さんのせいではありません。脚本が最低。

その前は天地人。吉川晃司さん。存在感はありましたが、登場に必然性がないというか、ちょくちょく「そのころ信長は」という感じで出てました。

ということで比較的詳しく信長が描かれたのは2006年の「功名が辻」が最後でしょう。舘ひろしさんです。第一回から登場し、本能寺もきちんと描かれました。「きちんと」とは「史実」という意味ではありません。濃姫が「殿は地獄、私は極楽、死んであの世で逢おうにも、逢うことができない」と言って本能寺でともに死ぬのが印象的でした。

「信長、キングオブジバング」。戦いのシーンとはちゃんと描くのですが、なにしろ「登場人物のセリフ回しが全部同じ」なのです。柴田権六も木下藤吉郎も「同じ言葉の使い方」をします。「何々でござりまする」と全員同じ。「あまり助詞を使わずに話すセリフ回し」も全員同じ。役者の個性が全く生きない、非常に残念でした。

この作品では旧説と新説がごちゃごちゃといりまぜになってました。平手のじいは、諫言死ではない。桶狭間は正面攻撃である。ところが長篠の戦は「きっちりと三段撃ち」です。
CGもない時代なので、金かけて作ってました。史実はともかくあの「三段撃ち」は見ごたえがありました。それだけにあの「セリフ全員同じ」はどうにかしてほしかったと思います。

加納随天という占い師がでてきて、平幹二郎さんが演じました。異常なぐらいの存在感。最後は本能寺で死にますが、信長の切腹までの時間を稼ぐため、「何本矢を受けても、何発撃たれても死なない」というシーンがでてきました。あまりに大きな存在感。名優過ぎるのも考えもんです。セリフ回しが同じなのは平さんもそうなのですが、さすがに平幹二郎。それでも個性が生きてました。

ということで大河の歴史において信長が主役になったのは「たった二作」であり、そのうちの一つ「国盗り物語」では斎藤道三、明智光秀とのトリプル主役です。

そろそろ「ザ 織田信長」といったような大河ドラマを作ってもいい時期だと思います。

「ねね」と「まつ」と「千代」について

2017年09月02日 | ドラマ
「ねね」と書いただけで、「おね」だ、とか「ねい」だとか言われそうですが、「ね」なんて一文字名は当時としてもあり得ないので「おね」はどうかと思います。

「お」は接頭語というか敬称です。だから「おね」なら、彼女の本名は「木下ね」か「杉原ね」になります。おかしいでしょ、それは。

それに何十年も「ねね」だったのです。いまさら「おね」とか言われても、、、学説的にも支持できないし。

さて、

戦国期でドラマになりそうなのは、この3人ですね。茶々や江を主人公にしても面白くない、彼女たちが主人公の作品はあるが、実際面白くありません。

ただ「ねね」、「まつ」を主人公にした大河も僕の感想ではあまり面白くはない。「おんな太閤記」と「利家とまつ」ですね。

ひたすら賢女なだけ、なんです。もっと権謀術数をこらすような面白い「ねね」とか「まつ」も見てみたい。

「利家とまつ」、残念ながらもう話題にもなりません。反町隆史とか竹野内豊とかちょっと役者のかっこよさにこだわりすぎて、内容が二の次になってました。

利家も登場した時からただ「まっすぐな男」で少しも成長しません。「変化のない大河」は、一年もやる必要がないのです。

ねね、まつ、千代。

まあ戦国の3賢女ですね。

実子が家を継いだのは「まつ」だけで、しかも3代目は「側室の子」ですから、3名とも彼女たちの血筋は残りませんでした。ねねには子はなく、千代は女子を生みますが早く亡くなります。

ねね、は豊臣家を残すことはできませんでした、というかむしろ家康の側についた感じが否めませんが、「生き方の達人」でありました。大坂の陣後、あらゆる面で豊臣家は抹殺され痕跡を消されましたが、彼女は生き延びています。彼女の寺である高台寺は1万石を超える所領がありました。家康死後も秀忠が彼女を庇護しています。
「天下様としての豊臣家は一代で店じまい。秀頼はそれなりの大名として生きていけばいい。」そう考えていたふしがあります。


まつ、は加賀120万石の礎を作った女性で、利家死後は「加賀は芳春院でもつ」と言われました。芳春院とは「まつ」のことです。
関ヶ原の前、家康の「最初の標的」は前田家でした。
が、「まつ」は長子である前田利家に家康の本意(乱を起こして天下を奪うという本意)を教え、自重させた上、家康の人質要求にも応じ、自ら江戸で人質生活を送ります。
利長が死に、3代目の利常が「側室の子」であったため、利常生母である千代保が人質となり、晩年、まつは金沢に帰ります。その数年後に亡くなりました。


千代、は「どこまでが創作でどこからが史実か」がわからない女性ですが、長く賢女の鑑とされてきました。
たしか墓の大きさが、山内一豊とさほど変わらず、その点からみると、やはり土佐藩を作った女性とみなされていたと考えてもいいかと思います。
土佐藩自体は「山内一豊の弟の子」が継ぎましたが、千代自身は京都に住み、京から二代目を指導したり叱ったり、無心をしたりしています。
その点からみても、やはり「創業者」とみなされていたのは確かでしょう。「馬の話」とかが本当かは分かりませんが。

TBSドラマ「関ヶ原」に出てくる「まつ」は魅力的です。もう尼さんですが。

二代目の「利長」にビシリといいます。

「利長殿には家康と天下を二つに割って戦う器量はない。あなたの器量では家を存続させることが限界。それでいい。母のことは忘れ、あなたは家の存続だけを考えればいいのです。それがあなたの器量です」

加賀藩は利家と自分が作ったという自負があって、初めて成り立つ言葉です。むろん、ドラマのセリフではありますが。

石田三成の勝利 小説の「関ヶ原」

2017年09月02日 | ドラマ
映画「関ヶ原」はさほど好評ではないようです。長い、分かりにくいとか。戦闘シーンは派手で好評なようですが。

難しいですね、主人公が死に、カタキ役である家康が栄えるわけです。へたに描くと「不条理劇」になってしまいます。

小説の方は、なぜ文庫3巻で「長い」のかというと、別に石田三成だけを描いているわけではないからです。

徳川、前田、島津、毛利その他、こういった勢力の動きを丁寧に描いています。むろん「すべてが史実じゃない」のは当然ですが、各勢力の動きは面白いし、史実と比較するのも「一興」なのです。

また「ただ一人、東軍から西軍へ戻った」という「伝説」のある田丸直昌など小大名にも触れています。だから長くなるのです。

さて、映画。

映画のエンディングは「見ていない」から分かりません。見た方のブログをみてもどう終わるのかが分かりません。たぶん初芽で終わるのでしょうが。

なぜかというと小説がそうなっているし、TBSドラマでも「初芽終わり」だからです。

TBSドラマだと最後に尼になった初芽を訪ねるのは本多正信ですが、原作では黒田如水です。

如水は「義なき人」が栄えていいのかという初芽に対し、まともには答えずにこう考えます。

「義」はことを興す大義にはなっても、本当に人の世を動かす原理にはなりえない。

さらに黒田如水は小説の中でこう考えます。

豊臣は既に政権としての魅力を失っており(朝鮮の役によってでしょう)、人々はひそかに豊臣が終わることを希求していた。

続くはずないものを続かせようとしたところに石田三成の根本的な矛盾があり無理がある。

ただ「たった一つのことにおいて三成は成功した」と如水は言うのです。(実際は口に出しては言いません。考えるだけです。)

「豊臣政権の滅びにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば、三成は十分に成功した」

今、現在、この2017年段階において、石田三成の評価は決して高くはありません。「人の世のけじめを作った」と考える人も多くないかも知れません。

だから上記の如水の小説中での意見(ほぼ司馬さんの意見でしょうが)は、通用しないのかも知れません。

ただ江戸時代は違いました。儒教的倫理からすれば三成は「当然のこと」をした家臣だったからです。

もっともそれを公然と言うわけにはいきません。となると家康はどうだ?という話になるからです。

だから石田三成に代わって、島左近の行動と人間が大きく評価されました。史実としては毛利や島津への「根回し」すらできなかった島左近は「たいした武将ではない」と私は考えます。

しかし江戸時代においては武士の鑑とされました。石田三成の行動は賛美すべきものだが、賛美するわけにはいかない。それに代わって島左近の行動が賛美されたのです。

論理的には島左近も家康に逆らったわけですが、それは三成への忠義からであって、あくまで悪いのは三成。島左近は主人に逆らわなかった。そして「関ヶ原」という大事業をなしとげた。

今回の映画でも島左近は大活躍のようですが、この武将が(私的意見では)過大に評価されるのは、三成を公然と評価できなかった江戸時代からの、いわば「伝統」だと思います。

さらに加えれば、私は子供のころから「三成の柿の話」を知っています。少なくとも40年前までは三成もそれなりに高く評価されていたと思います。

蛇足
小説、原作での島左近は「武人」ですね。戦いにはやたらと強い。剣豪でもある。石田三成に対しては「殿と人が同じと思ってはいけない」などと三成の欠陥を指摘はしますが、指摘どまりです。
あまり積極的には動かないし調略等もしない。家康暗殺は企てますが、これも三成の反対でやめます。原作の方でも「素晴らしい武人ではあるが、調略等はできない」人物として描かれています。

宇喜多秀家の運命とドラマ

2017年09月02日 | ドラマ
宇喜多秀家、五大老の一人ですから、当然色々なドラマに登場します。

が、「彼自身が主人公になった」ドラマを知りません。岡山ローカルとかであるかも知れませんが。

前田家から嫁をとったことで、関ヶ原前年にお家騒動が起きています。が前田家から嫁をとったことで「長生き」はできました。

嫁とは「豪姫」で、突然のように映画になったりします。映画「豪姫」、若い日の宮沢りえが主人公です。

あんまり記憶にありません。録画はあるけど見直してもいません。

それから「母親がドラマの主人公」という珍しいドラマもあります。

「愛に燃える戦国の女-豊臣家の人々より-」。三田佳子さんが主演で、宇喜多秀家の母親です。

いかにも石井ふく子的と思っていたら、やっぱり石井ふく子作品でした。

司馬さんの「豊臣家の人々」が原作みたいになってますが、原作の主人公はあくまで「宇喜多秀家その他」であって、原作では当然、母親が主人公ではありません。

内容もなんだかトンデモ風でした。秀家が宇喜多直家の実子ではないってことになってたりしています。

TBSの関ヶ原では三浦友和さんで、それなりに存在感を出しています。

映画「関ヶ原」ではと思って調べると生島翔さんです。「誰やねん」と思って調べると、生島ヒロシさんのご子息のようです。

三浦さんは頑張りましたが、全体としてどうもドラマの世界ではぱっとしない存在です。しかし五大老の中で本気で徳川家康と戦ったのは宇喜多秀家のみです。

上杉景勝は伊達と戦い、東軍を追撃しません。毛利輝元は大坂にいますし、毛利家は動きません。動かないどころか一門の小早川秀秋は決定的な裏切りをします。

前田家では既に利家が亡くなっており、徳川側に立ち、最終的には120万石を安堵されます。

宇喜多秀家は五大老の中では一番石高が少なく60万石弱です。加えて秀吉の寵愛のみによって大大名となったというイメージも強く、さらに加えて「ただ真面目で柔軟性がない」というイメージもあり、ドラマの世界ではぱっとしないのだと思います。

でも普通に考えると西軍の実質的な大将は宇喜多秀家ですね。石田三成なんてのは19万石ぐらいしかありません。毛利は全く戦意なしですし。

関ヶ原後は島津を頼り、最終的には幕府に降ります。正室が前田家の豪姫であることもあり、遠流処分で、死刑にはなりませんでした。

84歳まで生きています。関ヶ原の大名の中では最も長生き、でしょうか。1655年まで八丈島で生きています。

大名ではないが、毛利秀元なんてのは生きてるのじゃないかと思ったのですが、1650年没みたいです。

もっとも真田信之は1658年まで生きていますし、晩年の90過ぎまで現役だったようです。宇喜多秀家より長命です。が、直接関ヶ原には参加しておらず、戸石城の攻略戦をしています。

関ヶ原から55年後まで生きたわけです。1655年没。1651年には将軍家光が40代の半ばで没し、時代は既に、4代徳川家綱の御代になっていました。